時代は、1930年代のイギリス・リバプール。いまさら強調するまでもありませんが、あのビートルズが誕生したリバプールですね。なんて厳しく貧しい街で、ビートルズは生まれたんだろう?
それはともかく(笑)……
★★★
映画のなかに出てくる家族は、極度に貧しい。
しかも、家族の働き手である父(イアン・ハート)が失業。生活はますまう追い詰められる。職を失い、心が荒廃していく父の苦しみ。それを思いやる子供たちの不安や悲しみが、ていねいに描かれています。
★★★
すごいのは、ラスト・シーン。
姉のテレサ(ミーガン・バーンズ)は、家の家計を援助するため、富裕なユダヤ人の家に、メイドとして働く。そのころ、仕事を失った父は、ファシズムの運動に加わっていた。
ユダヤ人排撃のために、父とその仲間は、テレサの働くユダヤ人の家へ火炎瓶を抛る。それが偶然にテレサを直撃する。テレサの全身に火が燃えうつる。
テレサは死んだのかどうかわからないままシーンは変わる。
数日後、父が家にやってくる。母はテレサは二階にいる、と父に教える。父はためらいながら、二階にゆっくり歩いていく。
父は深い後悔でテレサを見る。焼けただれた顔が痛々しい娘だが、その原因は自分なのだ。
が、父は、なにもいえない。そのとき、テレサが、父を見て、いう。
「ごめんなさい」
★★★
これって通常は、逆でしょう?
本当は父があやまらなければならない場面で、娘のテレサが「ごめんなさい」というわけです。
このシーンでは、直接描くことなく、こんなことを想像させます。
職を失い、いまは家族を守ることもできない、父のやりきれない悲しみを、この娘は知っている。火炎瓶の事件では、テレサは被害者なのに、加害者の仲間のひとりだった父を結果としては、ますます傷つけてしまうことになった。その父の悲しみに、テレサは「ごめんなさい」といったのではなかったか。
父が黙って階段を下りていくと、悲しむテレサの背中を、リアム少年が優しくさすっているシーンで映画は終ります。
現実の問題は、何も解決しませんが、映画の終わりには、家族の悲しみを想いやる子供たちのやさしい心が、あたたかい余韻として残る作品でした。
★★★
父の役は、ビートルズのデビュー以前を描いた、あの『バック・ビート』でジョン・レノンを演じたイアン・ハート。デビュー前の、不満で身体中が爆発しそうな、精神の飢えたジョン・レノン役がみごとでした。今度も、このイアン・ハートが、リアム少年を演じた可愛らしい子役に負けないくらい素晴らしかったです。