かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

池袋文芸座で亀井文夫監督の『戦ふ兵隊』と『上海』を見る(8月10日)。


時間ができたので、朝から池袋文芸座へいく。早めにいったけれど、すでに先にきているひとがずいぶんいた。


亀井文夫監督の『上海 -支那事変後方記録』と『戦ふ兵隊』を見る(実際に見たのは『戦ふ兵隊』、『上海』の順)。




『上海 -支那事変後方記録』は1938年(昭和13年)公開のドキュメンタリー映画




ウィキペディアから引用する。

1937年の第二次上海事変後の上海を撮影した記録映画。『北京』『戦ふ兵隊』と並ぶ亀井の記録映画3部作の一つ。日中戦争支那事変)の発端となった蘆溝橋事件から武漢攻略までと、上海租界の記録映像などが映し出されている。


戦意高揚を目的とした作品であったが、現地に行っていない亀井監督の巧みな編集によって「戦争の空しさをにじませる傑作」となったとも言われる。


日本軍に攻め寄せられ、廃墟になった上海の街並みが延々と映される。リアルな映像は迫力がある。登場する日本兵たちは明るい表情で武勲を語るが、上海の住民の困惑した表情(子供たちの顔も暗い)も映画はとらえていて、そちらのほうが重く心に残る。






『戦ふ兵隊』の上映は、1939年(昭和14年)。これも戦意高揚のためにつくられたドキュメンタリー映画。しかし、内容がすこしも戦意高揚に役立つものになっていたないため、公開禁止になってしまい、フィルムも没収されてながらく幻の映画とされていた、という作品。



ウィキペディアはこんなふうに説明している。

亀井は、戦争の中絶を内心願っていたのは確かだが、撮影で中国人と触れ合う中で「戦争で苦しむ大地、そこに生きる人間(兵隊も農民も)、馬も、一本の草の悲しみまでものがさずに記録したいと努力したに過ぎず、本作が公開禁止になるとは思ってもいなかった。


東宝内では、1日に数回の試写会が1ヶ月もかけて行われ、本作を見た多くの人物が共感した。


兵隊の表情も、どこか空虚でさびしそうにみえるのは、そのあとの歴史を知っているからかもしれない。この従軍した兵隊のひとりひとりは、その後どんな人生をたどったのだろう、とついそんなことを考えてしまう。


傷ついて取り残された軍馬が、誰もいない草原で巨木のように崩れ倒れていくシーンが印象に残る。フィルムが古いためノイズがずっと続いているが、それともうひとつ、花火のようなドカーンドカーンという爆撃の音や、キーンキーンと純弾が飛ぶような音がひっきりなしに鳴っているのが怖い。





『戦ふ兵隊』の映像一部
https://www.youtube.com/watch?v=Bzfe2IgzPes



文芸座を出て、近くに「磯丸水産」があったので、ホッピーとまぐろ丼で昼食をすませて、アパートへ帰る。