かぶとむし日記

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神田松之丞の講談を見にいく(11月17日)。

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11月17日、土曜日。


妻と合流して、亀有の「リリオホール」へ、神田松之丞の講談、独演会を見にいく。12時30分開場、13時開演。


講談を見るのははじめてだし、CDやYouTubeでもあまり聴いたことがない。ただ、神田松之丞の講談のさわりを何かで聴いたとき、その迫力に惹かれるものがあって、一度見にいこうとおもっていた。


神田松之丞 講談入門

神田松之丞 講談入門

こんな入門書を読んで、講談初体験に備えた。



演目は、「堀部安兵衛」。身上(しんしょう)を飲み潰すほどの大酒飲み・堀部安兵衛が、高田馬場で叔父(伯父?)の仇討ちを果たす人情アクション劇。


大酒飲みのダメ男が、大勢の敵を切っては捨て、切っては捨て、叔父の仇討ちを果たす。その豹変ぶりがかっこいい。


自分に身を置き換えてみると、お酒は飲むが、剣術はもちろん腕力もからっきしだめ(笑)。おれは、キメどころがないなあ、とおもう。


後半は、忠臣蔵の後日談。前半の仇討ちは、迫力のあるアクション劇だったが、切腹した四十七士の後日談は、しんみりと聴きいった。


広い会場が、若いひとりの講談師の話に神経を傾けて聴きいるというのは、やっぱり神田松之丞の話に力がある、ってことなのだろう、と感心する。


落語と講談のどこがちがうのか、を神田松之丞が説明してくれた。講談の登場人物は、フィクション化されていても実在のひとがモデルになっている。落語の登場人物は、「クマさん」「よたろう」、だいぶぶんが無名のひとたち。


講談はヒーローが活躍するけれど、落語は大岡越前のような例外をのぞけば、どこにもいそうな庶民たちがモデル。


忠臣蔵でいえば、主君の仇討ちに参加したひとたちの武勇伝が講談の素材で、仇討ちに参加せずどこかへ逃げてしまった武士たちが、落語の素材になる、っとそんなことを説明してくれた。



遅いお昼を食べようと亀有駅の周辺を歩いていたら、お酒が飲めて、定食も食べられるお店があった。あんこう鍋を食べながら、ホッピーで喉の渇きを癒す。