かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

『ボヘミアン・ラプソディ』を見ながら考えたローリング・ストーンズ分裂危機のこと。

f:id:beatle001:20181207133707j:plain
左から、チャーリー・ワッツキース・リチャーズミック・ジャガーロン・ウッド


11月11日に『ボヘミアン・ラプソディ』を見たときは、公開からまもなかったので(11月9日公開)、これほど評判になるとは予想していなかった。だいたい音楽映画はそこに登場するミュージシャンのファンが見るものなので、観客は限定されているイメージがある。


それがいま、爆発的といえるくらい観客を動員している。リピーターもふえている。クイーンを聴いたこともないひとが見にきているという。


この爆発的人気はなんだろう?


今回見にいった12月3日は、月曜日。平日の2回目の上映だったが、客席はごく前の方の席はあいているが、7〜8割くらいの埋まり方。評判の映画でも、ガラガラで見ることが多いので、この熱気ぶりはすごい。


最初にこの映画を見てから、クイーンの楽曲のよさにあらためて目覚め、クルマのなかなどでよく聴くようになった。そして、あらためて独創的で、類似するバンドが思い当たらないな、っておもう。この映画をキッカケにたくさんのクイーンの音楽ファンが開拓されるのでは。



映画のなかで、フレディが高額のギャラをつまれ、ソロ活動をやろうかと考える、バンドの危機を描いたシーンがある。


これと類似したことが、同じ時期にローリング・ストーンズでも起きている。きょうは、クイーンではなく、その話。


当時、ミック・ジャガーははじめてのソロ・アルバム『She's the Boss』(1985年)を発表。


キース・リチャーズストーンズのツアーをやろうというのを蹴って、ミックは、ソロ・ツアーに乗り出した。


ミックのワールド・ツアーは、はじめはソロのナンバーを中心に組まれていたようだけれど、観客の反応がイマイチで、だんだんストーンズの曲が多くなっていったようだ。


わたしは、ニュースなどをチェックして、ローリング・ストーンズのツアーを蹴ってまでして、結局、ソロ・ツアーでストーンズ・ナンバーを中心に構成するのはなっとくがいかない、とおもった。


そのとき、ミックは、日本にも来日しているが、見にいっていない。わたしはミック・ジャガーではなく、ローリング・ストーンズを見たかったのだ。


キース・リチャーズは、カンカンにミックを怒っていて、「奴をやめさせても、おれはストーンズを続ける」とインタビューで語っていた。


「シンガーは、バンドのフロントで歌っていると、このバンドは自分ひとりのものだって錯覚するんだ」と分析した。


また、
「ミックが、チャーリー(ワッツ)に、『おい、おれのドラマー』、って上目線のものいいをしたとき、チャーリーは、『なんだ。おれのシンガー』といってた(笑)。チャーリーは、おとなしいけど、そういうやつなんだ」、キースは笑いながら、そんなエピソードも話していた。


キースの場合、もってまわった言い方はしないから、怒りも直接的だ。わたしは、とうとうストーンズも分裂するのか、とおもった。キースは、ストーンズは解散しない、というからたぶんミック・ジャガーが脱退することになるのだろう。しかし、ストーンズのヴォーカルがミックではなくなる、というのはちょっと想像しにくかった。


ミックのソロ『She's the Boss』が成功したら、あの1985年にストーンズは、ミックが脱退したのかもしれない。しかし、ミックのソロへの挑戦ははかばかしくなく、フェイド・アウトしていく。


そんな状態だったので、「ライブ・エイド」には、ミックは単独で出場し、キース・リチャーズロン・ウッドは、アコスティック・ギターでボブ・ディランのバック・ミュージシャンとして出場している。


ストーンズのその後は、ミックとキースが和解して、ストーンズは現在も継続している。和解の詳細はわかっていないが、おさななじみの関係であればいいたいことはいいあっても、何かのきっかけで氷解するのかもしれないが、わたしは、映画『ボヘミアン・ラプソディ』の和解のシーンを想像してしまう。


危機を乗り越えたローリング・ストーンズは、アルバム『スティール・ホイールズ』を発表し(1989年)、本格的に再始動を開始。ワールド・ツアーに出る。


1990年、ついにローリング・ストーンズは、日本に初来日。


ビートルズの初来日は、1966年だった。それから24年も遅い初来日になる。会場は東京ドーム。コンサートの入場料がはじめて1万円の大台にのった。