6月1日、土曜日。
「テアトル新宿」へ、鈴木卓爾監督、井浦新(いうら・あらた)主演の『嵐電』を見にいく。
喫茶店へ寄る時間がないので、紀伊国屋書店へ寄り、きょう発売の洋楽雑誌『ロッキングオン』を立ち読み。
エリック・クラプトンのコンサート評を読む。ことしのクラプトンはほんとうによかったけれど、『ロッキングオン』のコンサート評も、熱っぽく絶賛している。
松村雄策さん(1964年からのビートルズ・ファン、ロック評論家)が、ルー・リードとブライアン・フェリーのよさがわからない、と書いている。なにごともおもっていることを正直に書くひとだけど、ルー・リードもブライアン・フェリーも下手だから、という。
たしかにそういえなくもない(笑)。
でも、下手なんだろうか。彼らが放つあの不協和音のような異質な味わいは、ロックの魅力のひとつだとおもうのだけれど。
60年代、ボブ・ディランが登場したときも、「なんだろ、このひと?」とおもうような「ヘタウマ」の異彩を放っていた。
でもあとになれば、それこそが、このひとから離れられなくなる魅力の源泉そのものだった。
少しのあいだ、ルー・リードとブライアン・フェリーの独自性について考えてみた。松村雄策さんのおかげといえなくもない。
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11時40分より、映画『嵐電』がはじまる。
京都市街を走る路面電車・京福電鉄嵐山線(通称らんでん)を舞台に、交錯する3つの恋を幻想的に描いたラブストーリー。
鎌倉からやって来たノンフィクション作家の平岡衛星は、嵐電の線路のそばに部屋を借り、嵐電にまつわる不思議な話の数々を取材しはじめる。
(「映画.com」より)
https://eiga.com/movie/88699/
「おもしろいか、はずれるか、ちょっと変わっていそうな映画だけど、どうだろう?」
と、「賭け心」で見にいったけど、結論からいえばおもしろかった。
日常のなかに、非日常がまじりあってくる・・・あの懐かしい感覚。
むかしの漫画雑誌「ガロ」の愛読者なら、「つげ義春の世界、みたいな」、といえば、「ああ」とうなずくかもしれない。
「『ねじ式』的風景みたいな」といえば、もっと具体的に、つげ義春が描いたふしぎな光景を想い浮かべるかもしれない。
でも、つげ義春が活躍していたのは、50年も前。いま、漫画ファンでも、つげ義春のことを知るひとは少ないかもしれない。
音楽を、あがた森魚(もりお)が担当している。あがた森魚は、つげ義春の大ファンだと、あがた森魚を知るひとから聞いたことがある。
やっぱり、この映画は「つげ義春の世界」とつながっているのではないか。
「ラブ・ストーリー」と説明されているけど、それは映画の本流とはいえない。本流は、路面電車「らんでん」。
「らんでん」には妖怪にまつわる都市伝説があるそうで、井浦新は、それを取材にきているが、誰もじっさいのところよくわからない。でも、終電のあとに、キツネとタヌキの妖怪が乗った「らんでん」がホームに停まり、
「この電車に乗れば、どこまでだって行けますよ」と、いってくれる。
夜の「帷子ノ辻(かたびらのつじ)駅」は、日常と幻想がまじりあう。そこにいない大切なひとがあらわれたりする。
わたしには、懐かしい京都嵐山の風景。京福電鉄嵐山線へ乗ったのは、20代のころ。それ以後は、クルマやバスで移動しているので、「らんでん」に乗っていない。
帷子ノ辻駅のホームで、終電のあとにくる「らんでん」をひとりで待ってみたい。わたしには、どんな大切なひとの姿が見えてくるだろう。
個人的かもしれないが、とてもたのしい気分で映画館を出る。
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お昼は、立飲み「春田屋」。ホッピーとやきとんをメインに、最後「焼きおにぎり」でシメる。