左小津安二郎、右山中貞雄。 「1938年1月12日、山中のもとを小津が訪ねて来た。2人はわずか30分の面会時間でたくさん語り合い、日本映画監督協会宛てに『南京で会ってお互いの無事を喜んでおります 小津安二郎』『悪運の強いのが生き残っています 山中貞雄』…
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