かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

Yさんと飲む(7月2日)

仕事あけ、「本郷3丁目」から大江戸線に乗って「上野御徒町」へ出る。まだ店のひらいていないアメ横を散歩。上野の立ち飲み「たきおか」の前を通ったが、夜来るかもしれないので素通りし、JRで赤羽へいく。

立ち飲み「いこい」。朝から店内はいっぱいだったが、やっとカウンターの小さなスペースを確保する。ひとりでお酒を飲むときの、至福の時間をたのしむ。

谷中ショウガ、鯵のタタキ、天ぷら、シメサバ、煮込みを肴に、ハイボールを4杯(約2000円)。約1時間ほどいて……きょうは、夜に以前勤めていた会社のYさんとあうので、そこそこに切り上げる。

あやしい天気だったが、とうとう雨が降り出した。

帰り扇風機を見に、東武練馬のサティへ寄る。

「極貧荘」にはクーラーがなくて、冷風扇というのをつかっている。水を含んだ冷たい風が出る扇風機で、部屋じたいは冷えない。ただ風の威力がおとなしいので、もう1台扇風機があってもいいかな、とおもって電機売り場を見たが買わなかった。代わりに、近所を散歩したり、銭湯へいくときに使う小さめのカバン(1000円)を買う。

「極貧荘」へ戻ると、黒ホッピーを飲んでそのまま眠った。起きたら16時。Yさんに、メールで連絡し、上野の中央改札であうことにする。

18時少し過ぎにYさんと会う。先日蒲田で会った以来。

立ち飲み「たきおか」へいく。広い店内がごった返していたが、カウンターに場所をとる。

本来ならこういうとき最初に近況などを話すが、Yさんは時々ブログを見てくれているので、大体こちらの様子を知っていた。「極貧荘」のことが話題にあがる。

「最近ほとんどアパートに居ついてしまって、川越へ帰っていない。先日は妻の方がこちらへきて、一緒に焼肉で食事した。4畳半は居心地がよくてね。万一のときは、ひとりでもやっていけるメドがついたよ(笑)」と、そんなことをYさんに話す。Yさんは、わたしよりひと回りも若いのに、こちらの話すことをなんでもよく理解してくれた。

わたしは、今生業(なりわい)としてハイヤーを運転し、来年の個人タクシーの試験をめざしているが、Yさんはいまも編集の仕事をつづけている。

上野「たきおか」から谷中へ向かう。

上野の混雑から逃れて、静かなところで飲むつもりだった。日暮里駅を降りて、ringoさんが紹介していた「真味屋」(まみや)を探したが、店が閉まっていた。

【注】:ringoさんは、写真入りで「真味屋」と夜の谷中銀座を紹介しています。ぼくは、この日その足取りをたどりました(笑)。ringoさんのブログは、こちらです。


石の段々を降りて(ringoさん、やっぱり猫がいましたよ!)、夜の谷中銀座から、よみせ通りを歩いて、西日暮里へ。「餃子の王将」は、ひとが空席待ちをしていたので、近くの「和民」へ寄る。

ここでも静かに話せた。

Yさんとは、以前の会社で一番に話があった。どちらか少しお金をもっていると安い居酒屋へいった。仕事は好きでなかったが、その会社でYさんと知り合えたのが収穫だった。

西日暮里から池袋までいっしょに電車に乗る。

「秋にでも、また会おう」
「今度は、熊谷へいってもいいなあ」
「ああ、泊まりがてらきたら。奥さんや子どもも一緒に」

そんな話をして、池袋駅で別れる。



東武練馬駅をおりて、閑散とした夜の「北一商店街」を歩く。雨あがりで涼しい。極貧荘の近く、屋根の向こうに月が見えていた。

森一生監督『若き日の信長』(1959年)

若き日の信長 [DVD]


秋山駿は名著『信長』のなかで、信長を、「日本の歴史上もっとも興味のある人物」と表現している。芸術家のような鋭い感性をもった人間でありながら、これほどためらうことなく女性から子どもまで大量に殺戮した独裁者もすくない。信長は、刃向かうものに、容赦がなかった。

信長のイメージする世界観は、壮大で、それを理解できたものが、同時代どれだけあったか。『信長公記』(しんちょうこうき)の著者太田牛一(信長の家臣であった。実際の信長と接した経験をもっている)は、その信長一代記のなかで、総じて信長に好意的でありながら、あまりの残虐さに、「上様の行動が理解できない」という一文を加えているところもすくなくない。

あまりにも壮大な信長の世界観……その常人に理解しがたい信長の美意識の奥底へ分けいろうと、果敢に挑戦したのが秋山駿の『信長』だった。

市川雷蔵が演じるのは、若き日の信長。「おおうつけ」といわれ、家臣からもそっぽを向かれながら、彼は用意周到だった。家臣の裏切りも知りながら、ひそかに打つべき手をうって、今川義元との決戦に打って出る。あとのない捨て身の信長だったが、義元の隊列がのびすぎた弱点を見逃さず、奇跡的な勝利をあげる。

若き日の信長といえば、斎藤道三の娘濃姫との結婚などが映画化されることがおおいが、この作品は大仏次郎の歌舞伎劇が元になっているそうで、道三も濃姫も登場しない。

山口左馬之助の娘「弥生」や、平手中務(ひらてなかつかさ)の息子たちとの関係のなかから、若き日の信長像を描き出している。

特別に傑出した織田信長像を見たという気はしないが、雷蔵の演技は小気味がいい。よくある道三、濃姫とのエピソードが登場しないのがかえってよかった。あくまで自由に創造された雷蔵版・織田信長像という印象だけど、おもしろく見られた。