かぶとむし日記

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成瀬巳喜男監督「おかあさん」を見る

タイトルがあまりに地味ではないかと思う「おかあさん」(1952年公開)でしたが、成瀬監督の優れた特質がたくさんこめられた、傑作映画ではないでしょうか。

映画がはじまるなり、大きな日本語の、四角い看板があちこちに掲げられた戦後の町並みが映り、舗装されていない道路には、子供たちがあふれて遊び、そこをふいに横にそれると、狭い路地があります。

そして、子供たちが遊ぶこの町には、しばしばチンドン屋がやってきます。これは、まさに成瀬巳喜男の世界ですね。そして、戦後日本の懐かしい光景です。

まずは、ストーリーですが、要約するのが面倒なので、手元にあるスザンネ・シェアマン著「成瀬巳喜男 日常のきらめき」(キネマ旬報社から引用させていただきます。ストーリーだけではなくて、この本はとても参考になりました。

戦後の貧しい時代に、福原正子(初めて中年女性を演じた田中絹代)は、夫(三島雅夫)とともに長男・進(片山明彦)、長女・年子(香川京子)、次女・久子(榎並哲子)と甥・哲夫(伊東隆)を育てている。しかし、家業のクリーニング屋を再開して懸命に働く夫と長男は、相継いで病死してしまいます。遠縁の木村(加東大介)に店を手伝ってもらうが、正子との仲が噂となり、商売もなかなか順調には行かない。やがて、久子は親戚の許へ養女としてもらわれて行く。木村も自分の店を開くために去って行き、代わりに田舎出の少年が小僧として雇われる。哲夫も未亡人の母の許へ戻り、年子もやがては結婚することになるだろう。こうした激しい変化の只中に、休みなく働く母がいる。

と書くと、ストーリーが複雑にあるようですが、成瀬巳喜男が手厚く描いているのは、あくまで家族の日常生活です。

長男と父と、働き手が相継いで亡くなってしまいますが、映画には死の場面はなく、いきなりその後のシーンになって、近所の人がいう「お墓参り、お兄ちゃんの?」という会話から、長男の死が観客に知らされますし、父の死のときは、玄関にかけられた「喪中」の札から、病人の亡くなったことが、わたしたちに知らされます。

劇的な場面を回避し、あくまで日常感覚としてシーンをつなごうとする成瀬作品の特質がこの2つの死の扱いでも、よくわかるかとおもいます。

働き手を失いながらも、子供たちを育てる、一家の母の辛い物語を描きながら、悲嘆に暮れる場面は慎重にシーンから避けられて、観客の感動や家族への同情は、観客自身のなかへ内向していくことになります。

田中絹代は、状況に負けず、慣れないクリーニングの仕事を一から覚えて、子供たちの生活を支えようと決意、この物語はいろいろな不安を残したままで、終わります。問題は、何も解決していません。

ただ長女・年子の次のナレーションで、観客は少し救われます。

「お母さん、私の大好きなお母さん、幸せですか。私はそれが心配です。お母さん、あたしの大好きなお母さん。いつまでも、いつまでも生きて下さい。お母さん」

成瀬巳喜男の魅力を強く感じる映画でした。



■追加情報:id:tougyouさんが、映画「おかあさん」について書かれたコメントをあとから発見しました。いつも鋭く映画評を書かれるtougyouさんのご意見を、あわせてご紹介させていただきます。

『おかあさん』は私もNHK BS2で放送された時に観てもう大感激でした。

(中略)

成瀬巳喜男の映画の中でも、特に明るい映画のように思いました。香川京子岡田英次のデートのシーン等、なにもかもがあの時代の貧しくても心が豊かで将来に夢があった雰囲気が見事で、最後の香川京子のナレーションがまた素適でした。また、加東大介クリーニング屋としての手捌きの見事さに見惚れました。

田中絹代の凄さは、役として年齢のいったものでも貪欲に見事に後年はこなしたことでしょうか。