戦後の太宰治短編集です。太宰治は、この「グッドバイ」を未完のまま残して、玉川上水で自殺してしまうのです。
小説「グッドバイ」は、妻子を田舎から呼び寄せ、そろそろ東京で落ち着いた「家族生活」をしようとおもった男が、過去の女性遍歴をきれいに清算しようと奔走する‥‥というストーリーですが、内容そのものは喜劇(コメディ)です。
過去の愛人たちと別れるために、「彼」(小説の主人公であって、太宰自身ではありません)は、ずるい手を使います。女優でも珍しいくらいの「絶世の美女」を「妻」(実際は関係ない)として同伴し、愛人たちをあきらめさせよう、というのです。
つまり、相手の女性に「こんなきれいな奥さんに、私はとうていかなわないわ」と思わせて、あとくされなく別れようとする、わけです。
ところがその「絶世の美女」が、普段は化粧ひとつしない、部屋は乱雑、大食いで、声はがらがらのカラス声‥‥つまりは、がさつそのものの女性、という性格設定です。その「がさつな女」がひとたび化粧し、着飾ると、絶世の美女に豹変、、、という話ですが、こうしてストーリーを書いただけでも、とくにおもしろくもなく、不自然な作為がめだちます。
戦後の太宰治は、「斜陽」や「人間失格」などの生涯の代表作となる長編から、「トカトントン」、「桜桃」、「ヴィヨンの妻」、「饗応夫人」など、もうあげきれないような見事な短編小説を続々発表しています。しかし、この「グッドバイ」には、酒とクスリで才能まで荒廃したような、太宰の寂しさを、ぼくは感じてしまいます。未完であることに、太宰自身も、もはや未練も感じなかったのではないか‥‥というような。
この「グッドバイ」、生前、太宰と東宝とのあいだに、映画化の契約ができていたようでした(監督:島耕二)。高峰秀子の「わたしの渡世日記」を読んで、ぼくは、はじめて知りました。
高峰秀子は、原作を読んでもおもしろくもなく、気のりもしなかったようですが、東宝の接待による酒宴に現れた太宰治を目撃しています。
連日の酒に、かなりやつれ、座がひけても、いつまでも酒を飲みつづけている太宰の荒廃した印象を、回想記に書き残しています。
まもなく太宰は自殺、小説は未完に終わりましたが、映画はあとをこしらえて完成させたようです。ぼくは、まだその映画を見ていないので、期待はしませんが、機会があれば見たいと思っています。
太宰治は、晩年「家庭の幸福は、諸悪の根源」という問題を提起しました。その困難なテーマをつきつけて、優れた短編やエッセイを書いています。
「グッドバイ」の主人公となる男性も、妻子を呼び寄せて暮らす=家庭の幸福を築く、そのために過去の女性を切り捨てる男性のエゴイズムを描いた作品、ともいえるとおもいます‥‥。
◆注:新潮文庫「グッドバイ」の解説者である、有名な太宰治評論家、奥野健男氏は「グッドバイ」を次の新しい展望につながる作品として評価しています。その他、必ずしも「グッドバイ」の評価が全体に低いわけではありません。わたしの個人的な感想として受けとめてください。