かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

成瀬巳喜男監督作品の異色作「乱れる」

この映画、去年池袋の新文芸座成瀬巳喜男監督特集で見て、かなりおどろきました。作品じたいもよかったのですが、ラスト・シーンが成瀬巳喜男監督らしくなかったからです。今回、ビデオで見ても、見たあとはこの衝撃に意識をとらわれました。

通常の成瀬巳喜男作品は、映画がはじまって、登場人物(おおくは女性)に大小いくつかの出来事が起こりますが、結局、もとの時点にもどります。映画のラストになっても、なにも問題は片付きません。そして彼女の人生の本当の困難は、映画が終わったあとから、スタートするといってもよいかもしれません。

「乱れる」も、彼女が遭遇する問題は映画が終わってから本当にはじまる、ということは他の成瀬作品と同じですが、状況は映画のスタート時点からさらに困難になります。スタート時点に、彼女はもどることすらできないのです。

ラスト・シーンが、この作品にはかなり重要なポイントを占めてますので、これ以上話すとネタばらしになります。ラスト・シーンの衝撃は、まずは直接映画をご覧になってください。

以下、簡単なあらすじです。

森田家は清水市で酒屋を経営している。長男が戦死し、父親が病死してからは、長男の未亡人である礼子(高峰秀子が店を切り盛りしている。二人の娘はすでに嫁ぎ、行状不良の次男幸司(加山雄三だけが、母親(三益愛子の心配の種である。しかし、幸司の無軌道ぶりは、12歳上の義姉に対する愛情の裏返しであった。思い詰めた幸司は礼子に愛を告白するが、受け入れてもらえない。礼子は実家へ戻ることを決意するが、帰郷の車中に幸司が現れる。

 スザンヌ・シェアマン「成瀬巳喜男 日常のきらめき」より)

帰郷する礼子と、目の前にあらわれた幸司との道行きがどうなるか、それが映画の後半のクライマックスにつながっていきます。

「乱れる」には、礼子の嫁いだ森田家の酒屋をはじめ、近所の小売店が、スーパーの進出により、急激に経営を圧迫されていく様子がかなりリアルに描かれています。成瀬巳喜男作品が恋愛ものでありながら、奥深いリアリティを感じさせるのは、こんな時代の背景への目配りにあるとおもいます。舞台は、町の商店街であり、小売店であり、そこには新装開店するスーパーの宣伝カーが大きな音量で通り過ぎていきます。むかし日本に確実にあった、ある時代の正確な風俗描写ではないか、とおもいます。

前半の森田家の丹念に描かれる日常描写に較べると、後半の、礼子が列車に乗って、故郷に向かう長いシーンは、非日常的な感覚があります。幸司が登場すると、さらにそれが加速していきます。

列車のなかの礼子と幸司のやりとりはほとんど会話がなく、二人の視線、座席の位置で示されていきます。こうなると、もうドップリと成瀬巳喜男の世界ですね(笑)。しかし、お話できるのはここまで。あとは、直接お確かめください。

◆追記:「乱れる」は、ワイド・スクリーンなので、テレビだと上下に黒い空白ができて、予想以上に小さな画面になってしまうのがちょっと残念でした。