○どうしようもないわたしが歩いている
先日ご紹介した大山澄太著「俳人山頭火の生涯」は、旅と行乞(ぎょうこつ)に生き、独自の句境に達した山頭火の生涯を、敬愛をこめて描いていました。
しかし本著は、行乞をする禅僧といっても、実体はただの乞食坊主で、人に寄生するしかない、生活無能力者としての山頭火を描いています。
山頭火は、とびぬけて酒好きでした。本著によれば、完全にアル中で、何日も酒なしの生活はできず、友人や息子の仕送りが途絶え、行乞の成果もない日が続くと、無一文のまま町へ出かけて無銭飲食をし、そのツケを友人に回したという、そんな実例が次々あげられていきます。
お酒を飲むと、ぐずぐずぼろぼろになり、道路でもどこでも意識不明になってころがり、眠ってしまう山頭火。そして、翌日は激しい自己嫌悪に苛まれます。彼は、生涯お酒から自由になることができませんでした。お酒が好きなわたしには、ひとごとではありません。
○蝉しぐれの、飲むな飲むなと熊蝉さけぶ
お酒に溺れる自分を戒めての句でしょう。
著者岩川隆は、生涯、人間の俗性から離脱できなかった山頭火の生涯を描き、彼の句から、孤高の精神ではなく、悟りたくても悟れない人間の弱さ、もろさを読みとることができる、と書いています。
最後に、ひとりぼっちの旅のなかで、山頭火の人恋しさがあふれているような句をご紹介しておきます。
○おもいでがそれからそれへ酒のこぼれて
○やっぱり一人はさみしい枯草
○夕焼雲のうつくしければ人の恋しき