かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

ベストセラー「国家の品格」の品格?

国家の品格 (新潮新書)
結論からいうと、藤原正彦著「国家の品格」という本には、品格が感じられない。もともとアメリカ人向けに装いをこらして書かれた新渡戸稲造(にとべ・いなぞう)の「武士道」を、藤原正彦は、日本精神の手本として、疑問もなく書いている。歴史の中で、武士道の精神が日本人と近隣諸国に与えた苦痛をなんら反省・吟味することなく、いいところだけを並べられても、すぐさま承服できるものではない、とおもうけれど。

彼の家を訪問する外国人は、日本のよさを推奨するひとばかりで、それを例にして「日本人には、こんなによいところがある」と、話を展開するところもどうもなあ……だ。著者自身、そういう我田引水が気になるのか、来客をひとりひとり「○○大学の○○」と、肩書きを盛んにそえて、言葉に箔をもたそうとする。しかし、それ自身ぼくは品格がないとおもう。藤原正彦のエリート趣味は、本著のあちこちに散見する。

自由・平等・民主主義は、不完全だから過ちと、一気に飛んでいく彼の思想的な展開もついていけない。世の中に本当の自由がないから、自由などはまやかしだというのもおかしくないだろうか。人類の歴史は、不完全でも自由と平等への祈りと、獲得の闘いを重ねることによって、少しずつ住み良い世界をつくってきたのではないか。完全な平等などは存在しない、という。それはそうだろう。でも、より平等な世界をめざしていくとはできるのではないか。

民主主義はあやまった選択をする、というのも事実。民衆は煽動によわく、間違いを犯しやすい。そのリスクをいつも持っているのが民主主義だ。でも、だからこれを手放していいものだろうか。限られた少数に、自分たちの生活の幸福をまかせてよいものかどうか。人類は、数え切れない試行錯誤と、多くの犠牲を重ねて、民主主義の理念に辿りついた。これが完全なものだとは誰もおもっていない。しかし、完全な思想など、どこにもないし、民主主義よりも武士道の精神が優れているとは、信じられない。

清貧の思想 (文春文庫)
同じベストセラーでも、強く心をうたれたのは、1992年に出版された中野孝次著「清貧の思想」だった。西行良寛吉田兼好から、近代作家、尾崎一雄まで、その文章の骨子を引用し、日本人の精神のふるさとを訪ねている。肩書きの多い友人の言葉を連ねた「国家の品格」とは、作者の求める精神の深さが違うようだ。

もう一度日本人の精神文化を見直そうとするのなら、中野孝次著「清貧の思想」こそ再読すべきなのではないだろうか。

「ですます」調ではなく、自分へのメモとして、「だである」調で書いておきます。