かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

最近見た日本映画3本

新旧時代の違う映画を3本見ました。2本は渋谷実監督の「現代人」(1952年)と「自由学校」(1951年)、もう1本は昨年公開された話題作小泉堯史監督「博士の愛した数式」です。


渋谷実監督「現代人」

併映が池部良主演の「現代人」という作品でしたが、こちらは寝不足でもあって、途中から寝ちゃいました。戦後、石坂洋次郎の青春文学が流行になったせいか、のびのびとした爽やかに青春を謳歌する若者たちが映画にも出てくるようになりましたが(代表作が映画「青い山脈」でしょうか)、この作品にも池部良小林トシ子の「現代的な」男女が登場します。が、どうも映画で見ると、ぼくにはハスッパにしか見えず(特に女性が)、映画の中にはいりこめませんでした。実は、この映画、辛らつな社会風刺がこめられているそうですが、肝心のラスト・シーンに眠っていたので、わかりませんでした。



○池袋「新文芸座」にて


渋谷実監督「自由学校」


【写真】:家を飛び出した夫は、ルンペンの生活に自由を見出す。左、佐分利信、右は東野英治郎


「現代人」で多少寝不足を解消したせいか、こちらは最後までしっかり見ました。映画もおもしろかったです。

「自由学校」は、牛のようなどんくさい夫(佐分利信)と、気の勝った才媛妻(高峰三枝子)の夫婦ものがたりです。

勝手に会社を辞めて、縁側でだらしなく寝転んでいる夫に、妻が会社を辞めた理由を問いただすと、「自由が欲しくなった」と子供がいい出すようなことをいう。バカバカしくて、ついにキレてしまった妻は、外を指差し「出ていけ!」とどなる。これが映画の始まりです。

渋谷実監督のことは、松竹の喜劇を得意とする監督、というほか何も知りませんでした。見るのも初めて。こんな面白いとは思わなかったです。夫を演じた佐分利信のもっさりしたキャラクターが抜群に楽しい作品です。小津安二郎の「彼岸花」などには、重厚な主演を演じる佐分利信が登場しますけど、こちらは重厚ではなくて、鈍重です(笑)。

最初から喜劇俳優がたくさん登場して、ドタバタを演じて笑わせる喜劇ではなくて、佐分利信が演じた夫のように、役者は普通に演じていて、観客が笑ってしまう仕掛け、といったらよいのか。ぼくはこういう喜劇が好きみたいで、何度も自然に声をあげて笑いました。隣の女性も、声をあげて笑っていました。ただ、この作品でも、佐田啓二淡島千景の若い戦後カップルが登場しますが、「現代人」同様に、新しさをアピールしすぎて、佐分利・高峰カップルほど、しっくりきませんでした。

「隣りの芝生はよく見えるもの」というのがテーマでしょうか。夫はルンペン生活などで、夢の自由生活を体験しますが、最後は留置所入りで、次第に妻が恋しくなってきます。妻は夫への不満の代用を他の男性たちに見つけようとしますが、どの男も接近すればアラが見えてがっかりするばかり。欠点はあるが、夫はまあまあいい男の部類ではないか、と再認識します。結局、二人は元のサヤにおさまりますが、働きに出かけるのは妻(高峰)で、エプロンをつけた夫(佐分利)は、妻を送りだすと、まずは縁側で昼寝から……1日をスタート。

1951(昭和26)年に、キャリア・ウーマンと主夫……男女の役割を転倒させる夫婦を描いた作品は喜劇とはいっても新鮮だったのではないでしょうか。それとも、ありえない喜劇として、当時の人は見たのでしょうか。ぼくのようにビートルズ・ファンですと、すぐにジョン・レノンの主夫生活(1975〜1980年)のことを連想してしまうのですが。これは、1951年の映画です。

日本映画の最盛期には、こんな面白い監督もいたんですね。



○池袋「新文芸座」にて


小泉堯史監督「博士の愛した数式

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こちらは、先に原作を読んでいたので、映画がどのようになるか、そのへんを見たいとおもいましたが、あまり変わったという印象をもちませんでした。小泉堯史監督は、原作の味わいを忠実に映画化しているようです。

原作もそうなのですが、天才数学者が記憶が失えばこうなるだろう、というキャラクターを踏襲しているのが、この作品で、それがぼくには、おもしろくありません。もっと、博士固有のキャラクターがあってもいいでしょう。作者は「80分しか記憶が維持できない天才数学者」ということの着想に満足し、それ以上この人物を造詣するのをやめてしまったのか……。

役者のなかでは、成人して教師になったルートを演じる吉岡秀隆が、高校の授業中、数学のおもしろさや、博士や母との日々を、淡々と笑顔で回想する表情がよかったです。センチメンタルにならず、楽しそうに吉岡秀隆が回想していますが、すごく自然な感じです。

吉岡秀隆は、「三丁目の夕日」でも、顔をゆがめて泣いたり、走ったり、ぼくには目にあまるような過剰演技をしていて、「どうもなあ」でしたが、今回の役はとてもよかったです。新しい演技開眼となればよいのですが。本人がというより、どの監督も、寅さんの満男役のイメージにとらわれすぎているようにおもうので。

原作では、博士の愛したルート少年は、大きくなって数学の先生になりました、というまとめに登場するだけ。その原作ではあっさりとしか触れていない、成人したルート役を演じる吉岡秀隆が、ぼくには一番気にいった作品でした。


飯田橋「佳作座」にて