かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

成瀬巳喜男監督の「流れる」

jinkan_mizuhoさん、「流れる」の映画評、ありがとうございます。
敬愛する成瀬巳喜男監督を評価してくださる有力な味方がまたひとり増えて、とてもうれしいです。

「人を信ずることとは、何なのか?それは、人がいいだけでは身の破滅を意味するのか?」(jinkan_mizuhoさん)

この置屋で働く芸者さんたちは、それぞれ山田五十鈴演じるおかみさんに厚意をもちながらも、お店が次第に傾いていくことを知り、ひとりひとりと、去っていきます。残るのは、どこへも行けない歳のいった杉村春子だけ……過酷な現実と、花柳界を生きてきながら、どこか善良な山田五十鈴の対比が哀しくもあります。

「いずれ起ることを何も知らずに三味線を弾く『つた奴』と何もかも知っていながら傍観するしかない女中・梨花。ラストのその場面がお見事」(jinkan_mizuhoさん)

同感です。成瀬巳喜男は、感情を昂ぶらせることなく、ゆっくりとこの舞台になっている置屋が沈んでいく状況を描いて見せます。この監督には、慨嘆や詠嘆がない、その乾いた感覚が、よけいにぼくらに重くのしかかってきます。

現実に起こりえない奇跡は、映画の中にも起こらない。成瀬巳喜男は、登場人物に共感をよせつつも、けっして甘い解決策をつくりだすことなく、静かに映画の幕をひきますね。ですから、成瀬巳喜男監督の登場人物は、映画が終わっても、なお厳しい現実を生きつづけなければならないように、ぼくらにはおもえてしまいます。