かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

中野孝次著「清貧の思想」より抜書き

清貧の思想 (文春文庫)
最近「清貧の思想」を読み返しました。引用されているのが、西行吉田兼好良寛芭蕉などの古人なので、引用文を理解するのが苦痛でしたが、それにあまりこだわらず、中野孝次氏のメッセージを受けとめていけば、ぼくには今なお示唆されることのおおい1冊でした。


この本の骨子となる彼の主張を長いですけど、抜書きしてみます。

戦後の窮乏の中から出発したわれわれが、生活を少しでもゆたかにしようと懸命に働いて来たことは、人間として当然であった。(略)が、よりゆたかな社会をと願うその過程で何かだれも自覚しない路線の誤りがあったのだ。気がついてみると、われわれは物質文明こそ栄えてはいるが、心のゆたかさや安らぎのない、奇妙に空虚な事態に直面していたのだから。その誤りとは、わたしは、第一には、人間への配慮なしに、それを作ることが技術的に可能だから物を生産し、売れればよしとしてきた原理だけに大きく傾斜していったこと、第二に、何よりも経済的効率至上主義をもって生産するのを誰もが疑わなかったことにあると思っているが、素人考えで断定するつもりはない。

物の過剰の中でわれわれの生が決して充実しないことを知った現在こそ、生産とか所有とかを根本から見直す好機だろうと、わたしは思っている。

(略)これほど多くの人が、物の過剰な時代に生きたというのは日本の歴史始まって以来のことなのだから。所有を放棄すること、少なくとも世を捨てることに悦びを見出した西行や兼好や良寛の動機を解しうる立場にある。われわれは一度は物の過剰の中の生を体験したのだから。所有にとらわれるくだらなさを知ったのだから。それを知ったということの意味は大きい。あるいはそれを知るために戦後の四十年はあったのかもしれないという気さえする。

われわれは今こそ『徒然草』のあの言葉を知るべき地点に立っているのではないか。


『人間の儀式、いづれの事か去り難(がた)からぬ。世俗の黙(もだ)し難(がた)きに随(したが)ひて、これを必ずせば、願ひも多く、身も苦しく、心の暇(いとま)なく、一生は、雑事(ざふじ)の小節にさへられて(「邪魔されて」)、空しく暮れなん。日暮れ、塗(みち)遠し。吾が生(しょう)既に蹉○(さだ)なり。諸縁を放下(ほうげ)すべき時なり。信を守らじ(「義理に縛られず」)。礼儀を思はじ(「世の決め事など忘れよう」)。この心を得ざらん人は、物狂ひとも言へ、うつつなし、情なしとも思へ。毀(そし)るとも苦しまじ。誉(ほ)むとも聞き入れじ。 (第百十二段)』



【注】:「蹉○なり」の○は、足偏に「陀」の右側を書くが、パソコンで漢字がでない。読みは「さだなり」。意味は、「先がない。いきづまりである」のようなことか。



(略)このままではもはやこれ以上やっていけないところまで来ているのだ。これからは諸縁、すなわち世の中の義理やきまりを一切顧みないで、ただ自分のため、自分の魂の平安と充実のためだけに生きよう、というのである。

(名利や所有を捨てて簡素に生きた)先人たちの思想とは、そういう意味で最も純粋にただ魂のために生きる生の模範と見えたのだった。かれらは人間の所有の欲望にはきりがなく、仮にいくら所有を増大させたところでそれはこと魂の充実に関しては何の足しにもならぬと知ったから、それを放棄した。魂の充足のためにはそれにふさわしい生き方がある。生の感覚は身を貧しくするほどにとぎすまされてくる。何物にも換えがたいその喜びをかれらは知っていたから、それを歌に残し詩に残した。


以上、1992年に中野孝次氏が日本人に向けてメッセージした「清貧の思想」の一部をまとめてみました。