一体何を書くのかというタイトルですけど、実はそれほどあやしい内容ではありません。このところ重い話題がつづいているので、ちょっと軽めの話をアップいたします(笑)。
でも、男性にとってはあまり軽くないかな?
美しく気品のある人妻が、あることから、夫以外の男とのたび重なる情事に溺れ、いつか理性のコントロールを失っていく、そういう話について、ちょっと触れてみたくなりました。
なぜ? 特に理由もないんですけど(笑)。
これは、よろめきドラマではなく、三遊亭円朝作『怪談乳房榎(ちぶさえのき)』と、映画『運命の女』についてのお話でございます。
「乳房榎」は、怪談の体裁になっていますが、幽霊が登場する部分は、ほんの少しで、話のクライマックスは、絶世の美女おきせが、彼女を慕う磯貝浪江に、口説き落とされる場面ではないか、とおもいます。この口説きの場面を三遊亭圓生(6代目)の噺で聴きましたが、すごい迫力。できれば、三遊亭圓生のCD(「圓生百席」)か、三遊亭円朝の原作本などに直接あたってみてください。
○ストーリー
おせきは、絵師菱川重信の妻で、評判の美人、かつ貞女でございます。このおきせを慕って、重信の弟子、磯貝浪江は、夫重信の留守をねらって、仮病を装い、おきせの家へ泊り込みます。
深夜、磯貝浪江は、蚊帳の中で、わが子真与太郎を抱いて寝ているおきせに欲情します。
浪江は、想いを一度だけかなえてほしい、とおきせを口説きますが、おきせはもちろん狼藉をとがめます。断るならあなたを切る、と浪江は迫りますが、おきせは屈しません。どうぞ、お切りなさい、と開き直るばかり。貞女おきせにスキはありません。しかし、長い間、この女性をわがものにしたいと想っていた浪江はそのくらいで、あきらめません。あなたがわたしの想いを遂げてくれないのなら、おきせの子真与太郎を切ると、さらにきつく迫る……わが子に刃(やいば)を向けられて、おきせはとうとう観念し、浪江の手に落ちてしまいます。
迫真の口説き場面ですが、まだそれで終りません。その後真与太郎を殺すと脅かされては、1度が2度、2度が3度と、浪江とおきせの情事はつづいていくようなぐあいで……。
三遊亭円朝の原作に、ヒンヤリしたリアリズムを感じるのはこのあと。逢瀬がつづくうちに、おきせは段々磯貝浪江がかわいくなり、浪江が訪ねてくるときは、女中のお花を、用をこしらえて外へ出し、自分から浪江を誘うようになっていく。貞女おきせはなぜこのように変わってしまったのか。
このあたりを、語り手の三遊亭圓生は「芸談」のなかで、磯貝浪江は、廓などへ通って、女性の扱いに長けた男、その男と逢瀬を重ねているうちに、おせきは浪江が次第にかわいくなっていくんですね……そんなことを話していますが。
その後、磯貝浪江はおきせを独占するため、夫菱川重信を殺害して、噺は次第に怪談になっていくわけですけど、この「怪談乳房榎」のクライマックスは、このおきせを口説く浪江の描写にあるのではないか、とおもいます。
■エイドリアン・ライン監督『運命の女』(2003年アメリカ作品)
一方こちらは、優しい夫(リチャード・ギア)とかわいい子供がありながら、ふと知り合った青年ポール(オリヴィエ・マルティネス )に溺れていく、美しい女性コニー(ダイアン・レイン)のお話です。
コニーは、「まさかまさか」と自分を危ぶみながら、青年ポールの魅力に惹かれていきます。ポールは、コニーをよき家庭の美しい婦人として扱わず、人格を無視したように乱暴に愛すわけですけど、そういう夫にない動物的な愛され方にコニーは夢中になり、夫や子供とのあいだで、自分自身を制御できなくなっていきます。
美しいダイアン・レインが、別な女性と一緒にいる青年に、なりふり構わず嫉妬から殴りかかっていくシーンなど、気品ある妻の立場を失った感情的な行為であり、映画を見ていると、その狂乱はあわれでもあります。
この作品は、やがて妻の不審な行動から夫の知るところとなり、事実を追跡した夫は、妻の相手ポールを殺害、ここからミステリー映画になっていきますが、この作品の魅力は、ミステリーそのものにはなく、性に翻弄されるダイアン・レインの切なくあやしい美しさにあるとおもいます。
まあ、これはあとがなく、これだけのお話なのですが……(笑)