かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

現代語訳『徒然草』〜1


吉田兼好のことをざっと知りたいとおもって、現代語訳で『徒然草』を通読してみました。無知を承知で全体の印象をいいますと、「訳知りの口うるさいご隠居」という印象でした。こういうひとが隣人にいると、頼りにもなりますが、口やかましくてちょっとうっとおしいかもしれません(笑)。

兼好は隠遁者ということですが、蓄えも十分で、お金持ちのご隠居生活といった感じであります。世間との交渉を絶ってしまったわけでもありません。例えば、良寛のような厳しい独居生活とは全然別のものです。晩年まで、権力者や貴人との交流が盛んだったようです。

ただ、一筋縄ではいかない意地悪さもあわせもっていて、その辺はおもしろく感じられました。これから、時々おもむくままに、一編ずつピックアップしてみたいとおもいますので、興味がありましたら、お付き合いください。

テキストは、角川書店ビギナーズ・クラシックス 徒然草』(現代語訳は、武田友宏)です。


以下の「結婚否定論」どは、なかなか意地が悪くて痛快でもあります。

  • 独身礼讃論(第190段)


妻というものは、男の持ってはいけないものである。「いつまでも独身でいる」などと聞くと、その男性の人柄に深みが感じられる。


だから「どこそこの婿に入った」とか、また、「これこれの女を家に入れて同居している」などと聞くと、心底、幻滅を感じさせられてしまう。どうせ、たいしたこともない女を最高だと舞い上がって、夫婦となったに違いないと、男の態度が安っぽく想像されてくる。反対に、いい女ならば、かわいがって自分の守り本尊のようにたいせつに世話しているのだろう。たとえてみれば、そんな程度だろうと思われてくるはずだ。


これらにもまして、家庭をきちんと切り回す女はじつにつまらない。子どもなんか出来て、愛情をこめて育てる姿はうんざりさせられる。さらに、夫の死後、尼になって年をとるさまは、夫の生前中はもちろん死後までもひどいものだという気がする。


どんな女だろうとも朝晩いっしょに顔を突き合わせていたら、気に入らない点が出てきて、いやになってくる。それは女にとっても家庭内離婚のように、中途半端な状態になるだろう。


要するに、互いに離れて暮らしているままで、ときどき女を訪ねて泊まるような形にすれば、長年たっても二人の仲は切れることがないだろう。不意に訪れていっしょに寝泊りなんかすれば、二人とも新鮮な気分を味わえること間違いなしである。


なんとも痛烈(笑)。全般に『徒然草』は女性に辛口でありますけれども、これはなかでも容赦がありません。みなさんは、どのような感想をもたれるでしょうか。