【注】:id:yotarosanさんへのコメントにかえて
名人やスターの子どもが大変なプレッシャーを感じる、というのは想像でしかありませんが、理解できます。それに対応して、どう生きていくかはまちまちですね。
考えられるのは……
- 父と同じ道を歩みながら、それを超えようとする(リンゴの息子、ザック・スターキー流)
- 父と同じ道でも、違う流儀で自分を伸ばす(志ん朝流)
- 父の理解者として、その広報担当などをつとめる(長嶋一茂流)
- 成功した父の余禄を享受する(一般に多そうです)
- 父とまったく別の道を歩む(これが案外一番多いのかもしれません)
そして朝太郎の場合、、、
- 父に反抗することによって自分の道を探していく
に近いと思いますが、これは相手の壁が厚ければ、まさに撃沈してしまうこともあるとおもいます。しかし、余禄を享受して、「おれは○○の息子だぜ」と鼻にかけているバカ息子よりも、ぼくは、父との葛藤に共感がもてます。
もっともそれほど硬派でなくてもいいんです。呑気でいいんですが……
例えば、「湯屋番」という落語に登場する若旦那。あの天然の呑気さがぼくは大好きです。若旦那は道楽をしたあげく勘当され、知人のところへ居候しながら、いろいろお金のもうかりそうな発明なども考えますが、どれもダメで、あげくは、どうしても湯屋(お風呂屋さん)へ奉公へいく、っていいだします。とにかく好色で、粋で、底抜けに明るい。親父にあやまって勘当をといてもらおう、などという了見は全然ありません。何しろ、「親父はお金を貯めてばかりいて、あれはだめです。お金ってのは使うもんです」というのが言い分ですが、お金持ちの親の世話にならず、お湯屋へ奉公しようというのは、動機はともかく、独立心旺盛ではありませんか
この若旦那、最後まで乙な女性と粋な仲になることを夢みていますが(笑)、無欲で邪心なく、叩かれても明るく、なんとも楽しいキャクラクターでございます。
というようなわけで(どういうわけ?)、硬派から軟派まで、父に逆らって生きるのは、その富や名声を享受していくより難しいのでは、と考え……では、朝太郎はどうだったのだろう?
yotarosanさん、ぼくはそんなことを考えながら、永井啓夫著『三遊亭円朝』に登場する朝太郎のことを読んでおりました。
あまりまじめな御返事でなくてすみません。