かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

絲山秋子『沖で待つ』

沖で待つ
オリーブマニアさんのブログを見て、絲山秋子(いとやま・あきこ)の『沖で待つ』を読みました。


登場人物の男女二人は、新人として同期に入社。一緒に福岡営業所へ配属されます。この二人の中に生まれる奇妙な連帯感が、この作品の主題です。

二人が入社した会社は、住宅設備機器メーカーですが、その仕事の細部が、詳しく描かれています。絲山秋子の小説はまとめて4冊読みましたが、現実感の乏しいほかの小説に較べると、これは妙になまなましい小説だな、とおもいました。ただ、そのことで、他の小説が『沖で待つ』より、作品として劣っているとか、そういうわけではありません。

他の作品を仮に「雰囲気小説」とか「感性小説」とか呼ぶとすると、こちらはかなり登場人物のいる世界がなまなましい現実感をもって描かれている、というくらいの意味合いです。調べていないのでわかりませんが、著者の会社勤務の体験がいかされているのではないか、と読んでいておもいました。

海の仙人
といっても、絲山秋子の小説が2つの分野にわかれているということではなくて、あくまでたどりつく根っこは1つです。例えば、主人公が本作のように企業の前線で奮闘していても、『海の仙人』のように会社をやめて、離れ島に暮していても、彼らに陰る孤独感は共通のものが感じられます。



二人のうち、男性は上司の女性と結婚し、主人公の「私」は独身のまま年月が経過していきます。最後まで二人の関係は、恋愛には発展しませんが、男性が死ぬ直前に「二人だけの秘密」(性的なものではありません)をもちます。ただ、この「秘密」が特別重要だ、というわけではないんですね。むしろ、「秘密」を共有するほどに、二人の中に、妻や恋人には求められない「共感」が育ってきていた、ということが大切なようです。

読まないと、なんのことかわからないかもしれませんね(笑)。

この男女に生まれた「共感」の中身はなんなんだろう、ということなのですが、ぼくにはよくわかりませんでした。恋愛には発展しない、と書きましたけど、だから「男女の友情は成立するのだ」なんてことを書いているわけではもちろんありません。

絲山秋子は、その説明しにくい「共感」を、だから作品化している、ということだけはぼくにもわかります。