従妹のEと、逗子のおじさんが大船の病院に入院しているので見舞いに行くことにする。
逗子市小坪の、おじさんの家には、小さな頃から泊まりにいっていた。おじさんの家から、鎌倉も江ノ島も近いので、なにかと便利だったのけれど、それと同じように居心地もよかった。
ひとりでも、友人と一緒でも、泊まりにいった。高校の頃だったか、鎌倉八幡宮へ初詣するため、中学で仲が良かった男女5・6人の団体で、押しかけたこともある。おじさんと家族は、いつ行っても歓迎してくれた。
そのおじさんが、先日膀胱癌の手術をして、いま抗癌剤の治療を受けている。
A(おじさんの娘。わたしには幼なじみの従妹)に電話で様子を聞くと、
「それが病気には見えないほど元気なのよ」
「それなら見舞いにいく」というと、
「きてくれたら、よろこぶわよ」という。
相談して、Eと一緒にいくことにする。
11時23分、池袋のホームで待っていたら、約束していた湘南新宿ラインの先頭車両に、従妹のEが乗っていた。並んで座れたので、大船までの1時間久しぶりにいろいろ話す。
Eは、50歳を過ぎて大学生になった。無事に4年が過ぎて、卒業の見込みもたち、今度は大学院を受験するという。専攻は臨床心理学。
卒論は、「ナチスの、強制収容所の生き残り体験者の証言から見る、精神的外傷の臨床例」だという。もう少し説明してくれたけど、こちらの理解が浅いので、半分もわからない。
従妹は、12歳のとき、わたしの家に遊びにきていて、わたしの本棚から偶然「夜と霧」を手にして拾い読んだ。本の中には、強制収容所の様子を撮った写真がはいっていて、そこから目が離せなくなった。
「従兄の本が、この論文を書くきっかけになった」と、いうことを序文に書いたけど……といいながら、その時のおどろきを、はじめて話してくれた。世の中には、こんなひどいこともあるんだ。人間の暗黒面になんの免疫のない12歳の少女には、ショックだった。
そういえば19〜20歳のころ、ナチスや南京虐殺に関連する本を、特に何か研究するでもなく、まとめて読んでいたことがある。自分では、細かなことは忘れてしまっているが、こんなところにその余波が残っていた。
大船駅に、Aと、そのお母さん(おじさんの奥さん)が待っていてくれた。みんなで中華のバイキングを食べながら、面会時間を待つ。喉が渇いていたので、ひとりだけ紹興酒を飲んだ。
15時、おじさんを病院に見舞う。
おじさんは、なにより、また会えたことをよろこんでくれた。「来るって聞いて、楽しみにしていたよ、遠くまでよく来てくれたね」
「治療は3月までかかりそうだけど、退院したらみんなで熊谷へいくから、全快祝いをやろうよ」とおじさん。もちろん、来てくれたら大歓迎だ。
ムリに元気なところを見せているふうにも見えなかった。
おじさんの長男のKも、わたしたちが来るというので、品川にある仕事先の高校から直接駆けつけてくれた。
1時間ほどいて、病院を出る。おじさんは、エレベーターまで来て、笑顔で送ってくれた。病人が元気なので、こちらも気持が明るい。
A、Kとその母、それからEとわたし。5人でデニーズの夕食。わたしだけ、生ビールを飲む。
「これは、小さな<いとこ会>だね」
「今度、どこで<いとこ会>をやる?」
「ブラジル料理でおいしいところがあるよ」
「原宿で安くておいしい店を知っている」
「おれやTさんが一緒じゃ、ブラジル料理も原宿も、にあわないだろ(笑)」
「そんなことないわよ」
2〜3時間のんきに話していた。
デニーズの駐車場で、Aと、そのお母さんと別れる。Kが大船駅までクルマで送ってくれた。
「全快祝いやろうね」とわたし。
「やりましょう。遠くまできてくれてありがとうございました」とK。
外はもう暗い。
Kと別れて、Eと湘南新宿ラインへ乗り込む。電車は空いていて、走り出すまで、10分以上時間があった。
「わたし今ね、入谷の方の教会へ通っているんだけど、今度洗礼を受けるかもしれない」とE。
「家族みんなで?」
Eには、夫と高校生の娘がいる。
「もちろん、わたしだけよ」とE。さらに、、、
「いとこが集まって、みんなでワイワイ家族の話なんかする。それはそれでたのしいんだけど、わたしは違和感もあるなあ……○○ちゃん、どう思う?」
と急に聞かれて、、、
「みんなで集まるときと、自分ひとりのときは別だよ」といいながら、うまくいいたい言葉がみつからない。それで、、、
「もちろん、あんまり微温的なムードには違和感はあるけど」というと、
Eには、「微温的」という言葉が電車の音で聞きとれなかったらしく、聞き返されたので、もう一度いい直すと、、、
「やっぱり?」
「それはそうだよ。そういうあとは、山頭火の孤独な句を読んで、温(ぬる)んだ気持を引き締めたりするんだけど(笑)」
笑いながらいったけど、Eは笑わなかった。しばらく山頭火の話。
池袋でEと別れ、極貧荘へ向かう。ひとりになっても、まだ山頭火のことを考えていた。
【了】