かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

古ぼけた居酒屋ののれんをくぐる幸せとは?


雑踏の社会学 (ちくま文庫)
川本三郎氏の本は、<東京散歩>のとき、なにかと恩恵を受けていますが、こういう一文に出会うのもたのしみです。なんと、酒飲みの心を強くとらえた、ダンディ(?)な表現でしょうか。ぼくも川本氏のようにありたいもの。実情はどうであっても、ね(笑)。

■不易の酒場のすすめ

  • 焼鳥を焼く炭火の煙、お燗をつけるお湯の湯気。煙と湯気におおわれたその狭い空間は、男たちにとっては懐かしい記憶のなかの母体にも似ている。夕暮れどきについ縄のれんをくぐってしまう都会の<心は寂しい男たち>にとっては、酒場とは一種胎内回帰の場所でもあるのだ。男たちは「酒場へ行く」のではなく「酒場へもぐりこむ」のである。
  • それに不易の酒場は純粋に酒が好きな人、純粋に酔いだけを求めている人が来るのがいい。女を求めたり、「人間らしい会話」を求めたり……そういう下心のある人間は決して来ない。純粋に、酒と自分との孤独な、しかし誰よりも内密的な会話が出来る人が不易の酒場にやってくる。
  • 不易の酒場は、個独(原文のママ)を楽しむことのできる男たちのささやかな遊び場所なのである。カウンターという形式は、そういう個独な酒飲みのためのものであり、団体でどやどやとやってくる客にはそもそも不易の酒場は向いていないのである。
  • 灯ともし頃、酒を求めてひとりでぶらりとのれんをくぐり、カウンターに坐り、ひとり酒を飲み、湯豆腐などをつつき、忘我の幸福を味わい、陶然とした気持ちでまた、ひとり夜の闇に消えていく。これこそ酒場の原点である。


★(川本三郎『雑踏の社会学』より抜粋)


いいなあ(笑)。散歩のさなか、古ぼけた居酒屋へ寄るのを至福としている、わたしのような貧しい酒飲みには、よく冷えた一杯のビールのように、心に染みる文章です。


こんな文章を読むと、朝からもう居酒屋が恋しい!(笑)


【了】