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昭和20年8月6日。移動劇団「櫻隊」は、広島で公演していたため、原爆の投下にあう。この時、劇団員は、次の11人だった。
隊長は丸山定夫、事務局長は槙村浩吉、隊員に池田生二、高山象三、園井恵子、仲みどり、島木つや子、羽原京子、森下彰子、小宮喜代、笠絅子がいた。
(「goo映画」の解説より
丸山定夫と園井恵子は、古い日本映画で出演作品を見たことがある。
丸山定夫の記憶は薄いが、園井恵子は阪妻主演の『無法松の一生』(1943年、稲垣浩監督)で、無法松がひそかに心を寄せるあの吉岡夫人を演じているので、顔が浮かぶ。園井恵子は「無法松」で人気が出てからも、映画出演は辞退し、舞台の女優であることを選んだようだ。
★園井恵子
彼らが広島に滞在していたのは、不運としかいいようがない。
劇団員のうち、池田生二と槙村浩吉は、広島にいなかったため、被爆をまぬがれる。
島木つや子、羽原京子、森下彰子、小宮喜代、笠絅子の5人は、原爆投下後、即死。
丸山定夫、仲みどり、園井恵子、高山象三の4人は、その場は助かり、それぞれ知人を頼っていく。幸い、からだにそれほど傷もなかった。
しかし、4人が運良く難を逃れた、とおもったのは、間違いだった。まもなく原爆病が4人に襲いかかる。彼らは、等しく頭髪がぬけ、体中に斑点ができ、40度の高熱のなかで激痛に苦しみ、悶死する。
■死亡したときの年齢
■即死した5人の死亡年齢
- 島木つや子、22歳。
- 羽原京子、23歳。
- 森下彰子、23歳。
- 小宮喜代、30歳。
- 笠絅子、41歳。
【注】:データは、すべて「goo映画」の解説を参考にしました。
映画は、証言者の話に、被爆前後の再現フィルムをまじえ、「さくら隊」の悲劇を追う。
■証言者の一部は、以下のとおり。
他
【注】:『さくら隊散る』については、tougyouさんがこちらで言及しています。ぼくはそれを読んで見るきっかけになりました。