長年東宝で助監督をつとめ著者の、映画の現場での想い出を書き留めたもの。
目次を写すと、、、
1〜3までは、東宝に長く勤めた著者の、戦争加担の回想。軍部が絶大な権力をもっていた時代である。軍部との提携は、貴重なフィルムを分配してもらうにも、なにかと便宜をはかってもらうのにも重宝した。
そこで、東宝は会社の方針として、積極的に戦意高揚映画を製作した。要するに、社運を保守するため、権力に媚びた。その様子が詳細に描かれる。
著者は、ある日、東宝の試写室で『チャップリンの独裁者』を見て、強烈な感銘を受けた。
同じ時代に、同じような映画の仕事をしているのに、チャップリンとは天と地ほどの違いがあると思った。
チャールズ・チャップリンは、自分の思うことをきちんとまっすぐにのべていた。どのような状況の中でも己を謬(あやま)たず、毅然として自分のことばをいう。それがかくも高らかなものなのであろうか。
著者は、感動から、放心状態で、タイムカードを押すのも忘れて東宝の門を出た、ことに気づく。
戦後になって、東宝をはじめとして、他の会社も、映画人の戦争加担の反省はほとんどなかった、という。むしろ、東宝は、戦意高揚映画のフィルムを焼いて、占領軍の眼から、その痕跡を隠そうとした。
数少ない例外が、以前tougyouさんが紹介されていた、伊丹万作の「戦争責任者の問題」という一文である、と著者はいう。実際、このエッセイをtougyouさんの紹介で読んだときは、ぼくも強い感銘を受けました。
★ ★ ★
『七人の侍』について、助監督として参加した想い出。生々しい体験談は、やっぱり読んでもらうしかありません。この奇跡のような大傑作がどのような苦心のなかから誕生したのか、誰の回想を読んでも感動してしまいます。
成瀬巳喜男監督とのしごとは、『驟雨』。ぼくは、この軽妙な小品が好きですが、当時の映画評はよくなかったようです。その原因は、封切りに間にあうようこしらえたため、最初予定された佐野周二・原節子の夫婦が、郷里へ一度帰るところが、ロケに日程がとれなくなったため、全面削除して完成されたためだといいます。
予算と日程を厳守する成瀬巳喜男らしいエピソードで、そのためには作品の完成度さえ犠牲にすることを受けいれるのですね。逆にあれだけの名作をつくっている監督なので、すごい話だとおもいました。
しかし、それにもかかわらず、ぼくは成瀬巳喜男監督の『驟雨』の飄々とした味わいが好きです。
最後は、著者がもっとも一緒にしごとをしたかった豊田四郎の回想。著者は、その念願がかなって喜びます。豊田四郎とのしごとは、かなりの頁を費やして書かれています。ぼくが豊田四郎監督のファンなら、もっと熱心に読めたかもしれません。