朝雨が降っていたが、予定通り強行することにする。職場のある京成関屋から各駅に乗り、高砂で20分待って、特急の「成田空港行き」に乗り換える。
11時過ぎに京成成田駅へ着いた。
JR成田駅の観光案内所で観光用の地図をもらい、まっすぐ参道を歩く。先日来たときは、夕暮れ時で、お店がしまって寂しかったが、今日は参道のお店がどこもひらいていた。
喉が渇いて、すぐにもお酒が飲みたかったが我慢(笑)。雨は傘をささなくてもいい程度にやんでいたが、ひどく寒い。
途中のベンチで、予備に持ってきていたTシャツを2枚重ねて着た。それでも身体が冷える。
○成田山新勝寺への参道
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仁王門から石段をあがっていくと、成田山新勝寺の広い境内へ出た。三重塔、聖徳太子堂を見る。
○聖徳太子堂
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奥にいくと、平和塔がそびえ、隣りの霊光館で「成田山1938〜70年前の成田山」という写真展をやっていた。はいる。
拝観者は、わたしひとりなので、鞄を椅子に置いて、70年前の白黒写真を、ゆっくり見て歩いた。
昭和12年から昭和13年の写真……日本は、段々戦時色が強くなっていくころ。軍服の参拝者が目をひくが、表情はやわらかい。
着物の上に白い割烹着を着た、銃後を守る婦人たちが、参拝者に<千人針>をお願いしている写真もある。1枚の写真は、やはり割烹着を着た、きれいな婦人が、少しだけ笑っている。
子供はいつの時代も元気で、境内を遊び場にしている。立派な子供用の軍服を着た子供も参拝に着ていた。境内の物売りのおばあさんの深い皺。
みんな、まだ表情にくったくがないが、どれだけのひとが、無事戦後まで生き残ったのかな、そんなことを考えてしまう。
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奥の公園も広かった。なかを歩くだけで、十分散歩になる。ただ紅葉はもうひとつ冴えなかった。人が少なく、依然として寒い。
鈴木三重吉(童謡作家)、高浜虚子(俳人)の石碑を見る。どちらも、夏目漱石の門下生として知っている程度だったが、思わぬところで出くわすと、うれしい。
○成田山公園の紅葉。色は冴えなかったが、静かな散歩ができた。
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新勝寺を出る。
空がどんよりして薄暗いが、携帯の時間を見ると、まだ15時前だ。
駅を下りたときにチェックしておいた、お酒もおいている立食い蕎麦屋へ寄る。
熱燗を頼む。
皿の上にコップを置いて、少しお酒をあふれさせてくれた。少し飲んでから、皿にこぼれたお酒を、コップに足して飲むのが、得したようでうれしい(笑)。
テレビで、アルフレッド・ヒッチコック監督『鳥』の最後のシーンをやっていた。大量に集まった鳥が、美しい女性(ティッピ・ヘドレン)を容赦なく襲う。家の外に、庭に、道路に、びっしり鳥が集まっている。
豆腐を肴に、熱いお酒を飲む。からだがあたたまってくる。さて、これからどうしようか、と考えながら、熱燗をお代わりした。