タイシホさんのこちらのブログを拝見したのが、この本を手にとるきっかけになりました。タイシホさん、ご紹介ありがとうございます。内容は、タイシホさんがご指摘のとおり、素晴らしいものでした。
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ジョン・レノンが1973年秋から1975年初頭までヨーコと別居していた時期は、一般に<失われた週末>といわれています。アルコール中毒の悲惨な生活を描いた映画『失われた週末』からの連想で、そう命名したのはジョン・レノン本人ですから、だれのせいでもありません(笑)。
しかし、ヨーコさんへのリップ・サービスかもしれませんが、その時期一緒に暮していたメイ・パンに対しては、失礼な命名ではありました。ジョンのこの発言のために、まるで、その1年半のあいだ、ジョンは悪友と飲んだくれて、放蕩生活にあけくれていたようなイメージが定着してしまいました。
1988年、ジョン・レノン自身のナレーションでつくられた、ヨーコ公認、アンドリュー・ソルト監督のドキュメンタリー映画『イマジン』は、ジョンの生涯を簡潔にまとめた作品ですが、興味をひくシーンがいくつかありました。
その1つ、、、
あの映画のなかで、メイ・パンが「あの時期は<失われた週末>といわれていますが、ジョンは音楽的にも積極的に活動していて、いわれるほど失われていたわけではありません」とコメントしています。
印象に残る発言でした。しかし、なぜか、そのことを映画は、それ以上深く追及しておりません。この映画が、よくできていながら、入門的な伝記の域を出ていないのは、公認者への配慮なのか、この甘さが全編にあるためです。
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今回の本『ジョン・レノン ロスト・ウィークエンド』は、メイ・パンの写真と文で、その時期のジョン・レノンがどのような生活をしていたか、それを立証したような内容です。
普段着のジョン・レノンが写真のなかで、リラックスして笑っています。やわらかなジョンの表情は感動的で、公式写真ではあまり見たことがありません。
リンゴやキース・ムーン、ハリー・ニルソン、ジム・ケルトナーの常連以外にも、ミック・ジャガーやデヴィッド・ボウイもジョンの部屋を訪問しています。
ポールとリンダも、時々訪問していたようです。
ジョンとポールが何かを話をしている1枚の写真があります。ビートルズが解散してから、ジョンとポールが一緒に写った、現時点では、唯一の写真ということになります。
ジョンとポールは一緒に演奏もしたそうですが、メイ・パンはその貴重な瞬間を録音していなかったことを悔いています。だれも、ジョンがこんな早く亡くなるなんておもわないですから、メイ・パンを責められません。
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前妻シンシアと息子のジュリアンも訪れました。特にジュリアンはひとりでも遊びにきて、ジョンと一緒に、楽しく遊んで過ごしたようです。
父のギターを弾くジュリアン、父と同じポースをしてベッドに横たわるジュリアン、父の帽子、大きな衣裳を着用しておどけるジュリアン……
メイ・パンは、父と過ごすジュリアンの楽しそうな表情を何枚も写真に収めています。ショーン・レノンに較べて、幸せとはいえない境遇にあったジュリアンのうれしそうな表情を見られるのは、この本での大きな感動の1つでありました。
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この時期(1973年〜1975年)ジョン・レノンは、音楽活動を活発に行っていました。ジョンの音楽的な才能が陰りをみせていた時期なので、その内容は必ずしも最高とはいえませんが、意欲は十分だったようです。
『マインド・ゲームス』と『心の壁、愛の橋』を制作し、『ロックン・ロール』の録音も、フィル・スペクターとのトラブルで中断しながらも、完成させていました。
さらに、ジョン・レノンは外部のミュージシャンと積極的に<共作・共演>していました。ジョンがビートルズのメンバー以外と<共作・共演>するのは、この時期をのぞくと、ほとんどといっていいくらい、ありません。
リンゴの『グッドナイト・ウィーン』に曲を提供し、演奏もやっています。
ニルソンの『プシー・キャッツ』は全面的にプロデュースしているので、全体にジョンの色合いが濃厚。ちょうど同時期に制作していた『ロックンロール』と似た感触になっています。
キース・ムーン(ザ・フー)の唯一のソロ・アルバム『 トゥ・サイズ・オブ・ザ・ムーン 』(1975年) には、楽曲「ムーヴ・オーヴァー・ミズ.L(邦題:「ようこそレノン夫人」)を提供しています。
デヴィッド・ボウイと共作した「フェイム」は、ボウイ初のナンバー・ワン・ヒットになりました。その他、ボウイがカバーした「アクロス・ザ・ユニバース」(ボウイのアルバム『ヤングアメリカンズ』収録)に、ジョンはギターで共演しています。
なんと実り多い<失われた週末>であったでしょうか(笑)。
この『ジョン・レノン ロスト・ウィークエンド』は、ジョンのこれまでの公認の伝記に、一石を投じた、といってもいいかもしれません。