かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

清水宏監督『按摩と女』(1938年)


こちらより先に、リメイクされた石井克人監督『山のあなた 徳一の恋』を見てしまいましたが、オリジナルも、ほとんど同じでした。同じ脚本をそのまま再映画化したんでしょうね。


<着物の女>を演じるのは高峰三枝子草なぎ剛が演じた徳一は、徳大寺伸加瀬亮が演じた徳一の同僚は日守新一、といったような俳優の割り当てになっています。



高峰三枝子は、獣のような<旦那>(女は、いわゆるおめかけさんのようです)から逃げて、この温泉地に身を隠していることはわかるのですが、それ以上の情報はわからず、またこの作品のなかでは、それ以上の情報もいらないようです。


その<旦那>は映画には登場せず、ただ映画の最後には、女はまた<旦那>の目から逃れるため、この温泉地をたっていきます。


女と<旦那>のドロドロした関係は、遠い背景でしかありません。



ここでまた夏目漱石の<非人情>を持ち出しますが、この映画には登場人物の心の波紋のようなものは起こるのですが、それで互いの人生に何か深いかかわりあいをもつ、というまでには至らない。そこに<ものの哀れ>が生じています。


<非人情のなかに詩が生まれる>という夏目漱石のテーマを映画にしたような作品でした。


しかし、、、


清水宏監督の映画を、『有難うさん』、『按摩と女』と二つ見てみると、清水宏がそういう<ゆきずりの淡い関係>に詩情を感じる監督で、ここでわざわざ漱石を引きあいに出す必要はないようですね。


『有難うさん』では、たまたま乗り合わせたバスの乗客同士のふれあいが描かれ、『按摩と女』は、ある温泉地の数日間が描かれますが、結局互いの人生を変えるほどのかかわりにはならないところに、風情があります。ユーモアの生じるゆとりも生まれます。




山のあなた 徳一の恋』で、草なぎ剛の演技が少しオーバーと書きましたが、ほとんど徳大寺伸の演技を踏襲しているので、オリジナルと比べてオーバーではない、ことを知りました。徳大寺伸も、按摩さんの動きをかなり強く演技しています。


だから、その違いは、モノクロとカラーの差かもしれません。モノクロではさほどに目立たない過剰な演技が、カラーだと少し気になってしまう、という程度のことだったかも・・・。