かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

志賀直哉の言葉から・・・

夢殿の救世観音(くせかんのん)を見てゐると、その作者といふやうな事は全く浮んで来ない。それは作者といふものからそれが完全に遊離した存在となってゐるからで、これは又格別な事である。文芸の上で若し私にそんな仕事でも出来ることがあったら、私は勿論それに自分の名などを冠せようとは思はないだらう。


志賀直哉法隆寺の救世観音を見ての有名な文章です。この文章を最初に読んだときは意外な気がしました。


というのは、志賀直哉の文章は、作者自身の強い個性が刻印された<自画像の文学>だと、おもっていたからです。


志賀文学の愛好者の多くが彼の小説を読むとき、あの彫りの深い志賀直哉の顔と端正な文章とを一体に思い浮かべないことは、むずかしいことではないか、とおもいます。


しかし、長い時代を経て、その作品がひとり歩きして残るとき、その作者が誰であるかなど、どうでもいい、と志賀直哉はいう・・・この一見志賀文学の特質と反するような一文が、興味深い謎でした。



志賀直哉は夢殿の救世観音の前に立ったとき、自分の書き残した作品についてどのような感慨をもったのか。救世観音は、それほどまでに時代を超えて志賀直哉を圧倒したのか。


古美術好きな志賀直哉だが、意外なほど書き残した文章は少ない。もともと研究家ではなく、その年代や歴史的な意味にも関心をもたないひとではある。


このひとは、作品から直に受ける感動がすべてで、それは文学や絵画の鑑賞でも、かわらない。


遺言で、自分の名を記した記念館、記念碑、偲ぶ行事・・・などを一切禁じた、志賀直哉の心はどこにあったか、とおもうとき、わたしは、、、

夢殿の救世観音を見てゐると、その作者といふやうな事は全く浮んで来ない。それは作者といふものからそれが完全に遊離した存在となってゐるからで、これは又格別な事である。 


という文章を思い浮かべてしまう。