先日tougyouさんが、川本三郎氏のこの映画の結末の解釈をご指摘くださいました。もう一度引用してみます。
近年発売されたこの映画のビデオを見ていて、もうひとつ驚くことがあった。グレゴリー・ペックが撃たれて死ぬ。そのあと町の保安官や妻たちによって教会で葬儀が行われる。そこで終わりかと思っていると、そのあと、馬に乗った男が遠くへ去って行くシーンが付け加えられている。
このシーンは何を意味するのか。単なるイメージ・シーンか。劇場プログラムの「ストーリー」はグレゴリー・ペックが死んで葬儀を行われた、で終わっている。
だが、こうは考えられないか。保安官と妻は、男が撃たれたとき、とっさの機転で彼が死んだことにした、負傷しただけなのに死んだということにして葬儀を行なった。そうすれば、もう彼を狙うガンマンは現れなくなり、これからは静かで平和な暮しが保証されるのだから。
(川本三郎『ロード・ショーが150円だったころ』より)
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それでもう一度ラスト・シーンを見直してみました。こんな風になっています。
物陰に隠れた若いチンピラ、ハントが背後からリンゴを撃って、リンゴは馬から落ちて瀕死の状態になる。
ハントはその場で逮捕され、保安官たちは横たわるリンゴの周囲に集まる。
「いま医者を呼ぶ」と誰かがいうが、リンゴはもう死を覚悟しているようで、こんなことを保安官にいう。
「おれが先に銃をぬいた。そういうんだ」
「同情するのか」と、撃ったハントがそばでいう。
「間違えるな。同情するなら吊るし首にしてやるさ。お前はこれからずっと、タフなガンマンとして生きていくんだ」
絶えず巧妙を焦るガンマンたちに狙われ、一瞬たりとも心を安らげない地獄をリンゴは生きてきた。リンゴは、その苦しみを、自分を撃ったハントに、これから背負わせようというのだ。
ハントは、リンゴのこの発言によって、正当防衛が成立し、釈放されるはずだ(画面にはない)。
リンゴの葬儀が行われるなか、夕暮れ、馬に乗って町を去っていくのは、このハントではないか、というのがぼくのラスト・シーンを見直した印象でした。
映画は、新しい<拳銃王>の暗い未来を暗示したまま終わる・・・。
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なお、川本三郎氏の解釈も希望があって、それを願うような気持ちもありますが、いかがでしょうか。