戦後になって、人は闇米を食べなければ食っていけず、外人相手にからだを売らなければ生活を維持できない女性もあった。夫を戦争で亡くした若い未亡人も、このまま老いていくわけにはいかない、新しい出会いと恋もあった。
しかし、戦後のそうした世相とはお構いなしに、道徳や倫理は戦前と変らなかった。闇屋や娼婦や未亡人の新しい恋愛を、<嘆かわしい道徳の衰退、堕落だ>と世間の良識は眉をひそめた。
どんな既成道徳も、歴史的未曾有の体験をした戦後の人々を代弁することができなかった。
人間。戦争がどんなすさまじい破壊と運命をもって向うにしても人間自体をどう為しうるものでもない。戦争は終った。特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。人間は変りはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。
戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。
坂口安吾は、辛口の表現ですが、そのことがちっとも人間として恥ずかしくないし、人間が生きるには当然なことだ、といっているわけですね。坂口は、戦後の混乱のなかで生きていくひとたちに、それは道徳的な堕落でもなんでもない自然なことだ、と彼独特の表現で共感しているのです。こういう思想は、多分日本にはなかったはずです。坂口の言葉に、どれだけたくさんのひとが励まされたか。
tougyouさん、坂口安吾は無頼派でしたが、彼の「堕落論」が個人的で無頼的なものではないことは、tougyouさんはよくご存知ですね。
tougyouさんのブログを拝見していて、そんなことをおもいました。