かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

竹内浩三「骨のうたう」

ぼくもいくさに征くのだけれど―竹内浩三の詩と死 (中公文庫)
先日、ラジオ深夜便で、『ぼくもいくさに征くのだけれど―竹内浩三の詩と死』の著者、稲泉連氏が出演して、竹内浩三の話をしていた。


稲泉連氏は、いまから5年前、23歳のとき、この著書を書いている。現代を生きる23歳の眼が、23歳で戦死した、戦時中のひとりの青年の葛藤を捉えて、ぼくを惹きつけた。


ぼくは、この稲泉連氏の著書を読んで、竹内浩三のことを知り、彼の詩や日記を読んだ。


映画監督を志す、明るい青年が、軍隊生活に溶け込むことができず、不器用に苦悩する姿が、竹内が隠し持ちながら綴った日記(やそのなかの詩)に、克明に記されている。



竹内浩三は、1940(昭和15)年、日大の芸術学部へ入学する。映画好きな竹内は、映画監督をめざしていた。


両親を早く失った竹内は、母代わりでもある姉の<こう>から、送金をしてもらっていたが、あまり無駄遣いがすぎて、姉がそれを注意すると、、、


こんなひょうきんな詩を姉に送っている。

●金がきたら


金がきたら
ゲタを買おう
そう人のゲタばかり かりてはいられまい


金がきたら
花ビンを買おう
部屋のソウジもして 気持ちよくしよう


金がきたら
ヤカンを買おう
いくらお茶があっても 水茶はこまる


金がきたら
パスを買おう
すこし高いが 買わぬわけにもいくまい


金がきたら
レコード入れを買おう
いつ踏んで わってしまうかわからない


金がきたら
金がきたら
ボクは借金をはらわねばならない
すると 又 なにもかもなくなる
そしたら又借金をしよう
そして 本や 映画や うどんや スシや バットに使おう
金は天下のまわりもんじゃ
本がふえたから もう一つ本箱を買おうか



1942年、竹内浩三は、大学生活におおくの未練を残しつつ、自分でも少しは軍人らしくならねば、とおもいながら、入隊する。


入隊してからは、なにかとヘマが多くて、軍隊の生活に苦しむ。竹内浩三は、どう自分を変革しようとおもっても、軍人の規律や精神に自分を適合することができなかった*1


新しい世代に、竹内浩三のことをもっと知ってほしい、とおもう。


竹内浩三は、戦時中にありながらも、自分が武器をもって人を殺すことに実感をもてない、いまの青年と同じ感覚で生きていた。だから、人を殺すことを強要される軍隊が、どれほどつらかったことか。


1945(昭和20)年4月、竹内浩三は、「比島バギオ北方1052高地にて戦死」。送られてきた骨箱には、戦死を伝える死亡告知書が1枚はいっているだけで、骨はなかった。



1942年、入隊2ヶ月前、21歳の竹内浩三は、次のような詩を残している。

戦死やあはれ
兵隊の死ぬるやあはれ
とほい他国で ひょんと死ぬるや
だまって だれもいないところで
ひょんと死ぬるや
ふるさとの風や
こいびとの眼や
ひょんと消ゆるや
国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や


苔いぢらしや あはれや兵隊の死ぬるや
こらへきれないさびしさや
なかず 咆えず ひたすら 銃を持つ
白い箱にて 故国をながめる
音もなく なにもない 骨
帰っては きましたけれど
故国の人のよそよそしさや
自分の事務や女のみだしなみが大切で
骨を愛する人もなし
骨は骨として 勲章をもらひ
高く崇められ ほまれは高し
なれど 骨は骨 骨はききたかった
絶大な愛情のひびきをききたかった
それはなかった
がらがらどんどん事務と常識が流れていた
骨は骨として崇められた
骨は チンチン音を立てて粉になった


ああ 戦死やあはれ
故国の風は 骨を吹きとばした
故国は発展にいそがしかった
女は 化粧にいそがしかった
なんにもないところで
骨は なんにもなしになった

*1:竹内浩三の軍隊生活の日記は、「筑波日記」として、こちらのサイトで紹介されています。http://yaplog.jp/tukubanikki/