かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

親戚4人で、東京飲み歩き(1月15日)。


お正月(1月2日)、熊谷の従兄(いとこ)、タカシさんのうちで新年会。これは、わたしが中学生のころから恒例になって、いまも続いている。


むかしは、わたしの友だちも毎年誰かしら参加していたが、段々そういうひとたちとの交流が切れたので、いまは親戚で親しいひとたちの集まりになっている。


今年は、深谷の叔母、長女のヨウコちゃん家族、次女のクミちゃんとその子ども、従弟のフトシくん、わたしの弟、わたしたち夫婦・・・が集まった。


そのとき、弟が、昨年わたしといった柴又の話、立呑みの話をした。酒のうえの盛り上がりで、「今度みんなで立呑み散歩をしようか」ということになったが、、、


そういう酒席の盛り上がりは、その場だけで立ち消えになってしまうことがおおい。住む場所も仕事の休みもちがうひとたちが、集まるのはなかなかむずかしい。


「飲み歩き」の話は、4人くらいで盛り上がっていたが、それを叔母が聞いていたらしい。


数日後、「先日お話の立呑み屋さん、タカシさん、シゲルさんを誘ってやってください。少しですが資金を提供させてもらいます」というメールが叔母から届いた。


それで、酒席のあいまいな話が現実味を帯びてきた。失業中で時間のある弟にそのことを連絡すると、弟が、タカシさん、シゲルさん(叔母の長女の旦那さん)に都合をきいて、1月15日に実現した。



上野の立呑み「たきおか」へ12時集合。熊谷勢の3人は、高崎線でいっしょにやってくる。


少し上野へ早く着いたので、アメ横周辺をぶらぶらしていたら、弟から「いまお店につきました。奥の方で一杯やっています」というメールがはいった。約束の12時より15分早い。


タカシさん、シゲルさん、弟が、「たきおか」の酒樽風の丸いテーブルを囲んで飲んでいた。熊谷の親戚を上野の「たきおか」で見るのは、ふしぎな光景だ。お正月以来の再会に、まずは乾杯!!


「たきおか」を出て、銀座線で浅草へ。


隅田川を少し見て、浅草寺を歩く。1月のせいか、人出が多く、境内にたくさん露店が出ていた。「お花やしき」から裏通りを歩いて、ホッピー通りへ出る。ここは、上野と同じく、昼間からお酒の好きなひとたちが、店からはみ出るように椅子を並べて、ジョッキを傾けている。


ホッピー通りの一軒にはいって、4人でもう一度乾杯。牛スジ煮込みをつまみにして、飲む。


67歳のタカシさん、61歳のわたし、55歳の弟、正確な年齢は確認していないが、40歳台くらいのシゲルさん・・・年齢もまちまちの親戚4人だったが、話は尽きず、にぎやかだった。


シゲルさんの妻(わたしには従妹)は、むかしから近所で評判の美人だったが、いまはしっかりと所帯を切り回すおかみさんになっていた。シゲルさんが従妹と知り合うきっかけの話など聞く。


シゲルさんの義母にあたる叔母は、若いころの浅丘ルリ子に似た美人で、実家に彼女をおめあての若者が何人も遊びにきていたのを記憶している。叔母がそのひとたちに誘われてどこかへ出かけるとき、手ごろなのか小学生のわたしをお供に連れていった。


6つ上のタカシさんは、その辺のことをもっと記憶していた。タカシさんの中学校の教師も叔母のファンのひとりだった。わたしも「キクチ先生」という名前を憶えている。うちの両親などは、このキクチ先生へ叔母が嫁ぐように思っていたらしい。しかし、叔母は深谷のお菓子の問屋さんへ嫁いだ。


そして、男の子ひとり、女の子ふたりを生んだ。


女の子ふたりのうちの長女と結婚したのが、シゲルさんだった。わたしの母が、「ヨウコの旦那になるひとは、いい男だね。美男美女の夫婦だ」と、喜んでいたのも懐かしい。シゲルさんは、甘いマスクというより、キリっとした二枚目だった。


ホッピー通りのお店を出て、浅草演芸ホール近くの横道にある立呑みへ寄る。この店は、前回ひとりで浅草を散歩したとき見つけて、はじめて寄った店だ。


小さなお店で、テーブルが外まではみ出て、表で立って飲んでいるひともいる。前回ひとりで来たときは、わたしも店の表で立って飲んだが、今回は4人組なので、なかのテーブルをあけてくれた。


このころ日が暮れてきた。


腹ごなしに、浅草から上野まで歩いてもどる。仏壇屋さんが並んでいる浅草通りを歩き、途中誰もいない下谷神社をお参りする。


立呑み、座れる居酒屋、立呑み・・・と続いたので、上野では座れる居酒屋へ寄る。


少し飲み疲れが出てきたが、それでも4人とも元気だった。


帰りは熊谷へ帰る3人といっしょにJR高崎線に乗り、大宮でひとり降りて川越へ向った。