スポーツクラブで汗をながしてから、いつもいくラーメン屋さんへいく。このお店は、中国人のきれいなおかみさんがやっている。
いつもレモンサワーを2杯たのむと、豪華なネギチャーシューと冷奴を、無料でつまみに出してくれる。
そういう決まりがあるわけではなくて、何度か通って2杯ずつ飲んでいるうちに、それが定着してしまった。
飯島裕子著『ルポ若者ホームレス』という本を読みながら、ネギチャーシューと冷奴をつまみに、レモンサワーを飲む。醤油ラーメンができてくると、それもつまみにする。
「また来てね」といういつものおかみさんの声に送られて、お店を出る。ちょうど午後の2時だった。
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極貧荘へ帰宅して、パソコンにロベール・アンリコ監督『冒険者たち』(1967年)のDVDをいれて、見はじめる。
それから10分ほど経って、古ぼけた木造アパートの極貧荘が激しく揺れはじめた。ドアをあけて沈静化するのを待ったが、とてつもなく揺れ方がひどい。
落ちてくるような家具は何もないが、天井と蛍光灯が落下してくると困るので、頭に厚めのジャンバーをかぶった。
最初の揺れが静まったので、家族へ電話をいれてみるが、予想通りつながらない。あきらめて、「地震大丈夫?」というメールをとりあえず発信する。
パソコンを「radiko」に切り換えて、ラジオで地震のニュースを聞く。思いのほか、大きな地震で、東北の方は、大変なことになっているらしい。
それからも、余震が連続的にきた。そのたび、電気ストーブを消し、ドアをあける。そのくらいしか思いつかない。
それを繰り返しているうちに、酔いも効いてきて、眠ってしまった。断続的に揺れをかんじて、うつらうつらしながら、眠った。
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午後8時半頃、目をさまして、携帯をチェックしたが、受信はない。また家族の3人順々に電話してみると、なんどめかにやっと妻につながった。妻は子どもたちとも連絡がとれていて、みな無事であることを知った。
Naoは茨城県の牛久なので、被害が大きく、会社は停電して、アパートは、中がめちゃくちゃになっている。でも、アパートそのものは大丈夫だったらしい。停電はしてないが、水は止まっているとのこと。
Reiは、会社に今晩泊ってしまうことになっているので、とりあえず心配ない、とのこと。
妻にいわれて「新着メール問い合わせ」をやってみると、家族や知人からのメールがドドドーとまとめてはいってきた。
知人に無事であることを返信し、それぞれの安否を知らせてくれるようメールする。
妻から「都心は大渋滞だから、今日は仕事を休んだほうがいいよ」といわれる。外に出て、川越街道のクルマの流れを見てみる。ほとんどクルマが動いていない。これでは、都心へ出るまでにどれだけ時間がかかるかわからない。
両脇の歩道を、たくさんのひとが歩いていた。
Naoから電話がある。今日は、会社のひとが家へ帰れなくてアパートへ泊るから、ひとりではない、というので安心する。水は止まったままのようだ。
仕事を休むと決めると、思い切ってお酒を飲んで寝てしまおう、という気になった。
駅前まで歩いて、あいている居酒屋を探す。休みの店がおおかった。
居酒屋の「わたみ」が開いていたので、はいる。地震の影響だろうか、空いていた。
鍋をたのんで、カウンターで酎ハイを飲む。
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その夜は、余震がやまなかった。起きていてもきりがないので、パソコンのラジオをつけっぱなして、横になる。
頭にジャンバーをかぶり、いつのまにか寝入っていた。