20代か30代のころ、神田神保町の古本屋、北澤書店*1で買った本が、本棚から出てきた。全編志賀直哉の飾りけのない<肉声>が伝わってきて、興味が尽きない。対談の相手も、いろいろだ。
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目次を写してみると、
- 谷崎潤一郎「文芸放談」
- 天野貞祐「内村鑑三その他」
- 広津和郎・川端康成「文芸鼎談」
- 佐々木基一・中村真一郎「作家の態度」*2
- 谷崎潤一郎・谷川徹三「回顧」
- 杉村春子「楽しませ楽しむために」
- 広津和郎・辰野 隆「お好み風流鼎談」
- 和辻哲郎「戦争と平和」
- 梅原龍三郎「山荘にて」
- 高見順「『白樺』派とその時代」
- 尾崎一雄「小説について」
- 川端康成・小林秀雄・丹羽文雄「よもやま話」
- 瀧井孝作・藤枝静男・島村利正「志賀さんの話を聴く」
- 広津和郎・阿川弘之「新春座談会」
- 武者小路実篤・亀井勝一郎「交遊半世紀」
- 武者小路実篤「秋の夜話」
- 網野 菊「緑蔭閑談」
- 河盛好蔵「作家の素顔」
- 井上靖「文学のふるさとを語る」
- 阿川弘之「広津和郎氏の思い出」
このなかに、小津安二郎との対談が含まれていないのが、残念。読んだことはあるので、きっと別の本だったのだろう。
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杉村春子との対談(1950年)*3では、小津安二郎の最新作『晩春』について語られている。少し長いけれど、抜粋しておこう。
志賀:(略)この間の「晩春」は大へん面白かった。小津君は役者の特長をよく活かして使っていると思ったけど。どうなんでしょうか。*4
杉村:小津先生とわたくしは、こんど初めてです。
志賀:小津君は前からよく知っているし、人間的にも好意をもっている・・・。
杉村:とても細かい先生だってよく言われますけども、例えばお箸をここまで(口の下あたり)持ってきた時に、これこれのことを言うんだという具合なんです・・・ですから役者は手も足も出なくなるというようなことを、よく耳にしていましたが、一度自分も、野放図な芝居ばかりしているから、そういう先生について自分で抜き差しならないようなメに逢って見たいと思いましたので、小津先生が使って下さるというので喜びました。
・・・セットへ入りましてからも、作品全体が自分には随筆を書くようなつもりだと先生は仰っていらっしゃいました。ああいう芝居は非常にリアルにやりたいから、表情なんて芝居をやるようなつもりで動かしたりしないで、普通にやってくれと言われたんですが、わたくしのクセで、いつものように動かして、芸が目茶苦茶で、やっぱりこういう顔(大抑に顔をしかめて)になっちゃうんですよ。それがいけないんです。
・・・ところがほかの人は動かさないでやってるんです。わたくし一人こんなにやっていて、情けなくなって、悲観して、小津先生に申し上げたところ「だんだんぼくの言うことが分ってくるよ。最初は仕方がない。三島さん*5(笠さんの友だちの役をやった)もやっと今ごろになって分ってきたんだ」というようなことで・・・そのうちに、だんだんコツが分ってきたようなわけでございました。
志賀:舞台とは違うんですね。映画とは顔の大きさが違うから、舞台ならそのくらいにしなきゃ見物に見えない。
杉村:その前に撮ったのが「四谷怪談」で、あるったけの大芝居をやったんです。ところが、こんどは何もするな、とショッ鼻に言われて。
志賀:嫁入りの時にカバンを携げてグルッと一まわりするのは?
杉村:あれは小津先生の演出です。
志賀:とにかく、非常に面白かった。
杉村:一まわりまわるあそこは、とても皆さんに褒められました。
志賀:あれだとか、ガマ口を拾って急いで段々を上がるところなんぞ大へん面白かった。
杉村:(略)・・・八幡様のガマ口のところをやる時は、わたくし、日射病になって斃れるんじゃないかと思ったくらいでしたわ。あの階段を何度も何度も上りました。途中で止まっちゃ、いけないんでしょう、弾みをつけたら一気に上ってしまわなくちゃならない。これでいいのかと思ったら、もう一度、とくるんです。・・・でも楽しかった。
以上のところでは、志賀直哉が聞き手になっている。
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この対談が行われた1950年には、まだ『東京物語』(1953年)は制作されていない。しかし、こんな会話が出てくる。
杉村:尾道に先生がおいでになった、あそこはいいところでございますね。
志賀:わりにいいところですね。
杉村:なんとかいうお寺がありましたね? 千光寺ですか。
志賀:あの千光寺より駅に寄ったところに宝土寺という寺がありますが、その上です。千光寺へ登る中段ぐらいの停車場に寄ったところです。
地震以来、不安定な気分が、こういうむかし愛読したものを読み返していると、少し落ち着いてくる。現実から逃避しているのかもしれないが、一種の精神安定剤と考えている。