多田(瑛太)と行天(松田龍平)というユニークなふたりを主人公にしているのに、気持ちよく楽しめないのは、ふたりに重い背景を背負わしているからだ。原作にもかんじた違和感が、映画で、もっとはっきりした。
多田は、離婚歴があり、自分の不注意で子どもを死なしたとおもっている。多田という人物に陰影をつけるのがねらいかもしれないが、ぼくには、その過去の背景が生きているようにはおもえない。
行天のからむ人口受精の話も同じ。むしろ「多田便利軒」に起こる日常性のおもしろさを裏切ってしまう。
行天の指がちぎれる原因についてのふたりのあいだの重苦しい過去は、必要であったろうか。
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便利屋の仕事は、日常的なこまかな依頼を片付けていく。
家や公園の掃除であったり、外出するひとのペットのあずかりであったり、少年の塾の送迎であったり、バスのダイヤがきちんと運行されているかどうか、の確認であったりする。
そういう日常的な出来事との、多田、行天のユニークなからみ方はおもしろい。それをたのしんでいるときに、ふたりの背景の重苦しさが時々顔を出すのが、ぼくにはじゃまだった。
奥田英朗の『イン・ザ・ブール』に登場する、あのキミョーな精神科医の伊良部博士を知ったときのように、多田と行天の登場を、もっと爽快にたのしみたかった。