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やっぱりおもしろい。
テーマとしては、『めし』(1951年)のリメイクのようにもおもえるが、この作品は『めし』よりもユーモラスに、夫婦の軋轢が描かれている。
夫婦の、もっといえば男女の考え方のちがいが、ふたりの衝突の原因になるが、この夫婦は互いを決定的に嫌いになったわけではない。
しかし、、、
隣に若い夫婦が引っ越してくる。
<隣の芝生は青く見える>のことわざとおり、隣の若い夫(小林圭樹)は、貞淑で家事を怠らない原節子に魅力をかんじ、そういう妻の家庭くささに少しうんざりしている佐野周二は、隣の生活感をかんじさせない妻(根岸明美)に、新鮮な刺激を受けている。
露骨ではなく、誰でもすこし身に覚えのある、軽い浮気心が自然に挿入されている。
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場所は世田谷区梅が丘。垣根のある、ふつうの一軒家がいくつも並んでいて、朝になるとそれぞれの家から夫が出てきて、それを妻が送り出す。
1951年の、平均的な日本のサラリーマン夫婦の朝の光景なのかもしれないが、このどこかの一軒から、マスオさんを送り出すサザエさんが出てきても、おかしくない。
そんなのんびりした映画の風景に惹かれてしまう。
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ラスト・シーンが素晴らしい。理詰めで夫婦の衝突の問題を解決するのではなく、無言の映像でこの夫婦の未来を想像させる。
子供が遊んでいた紙風船がとんでくる。それを夫が打ち・・・妻へ送る・・・それを妻が夫へ打ち返す。夫から妻へ、妻から夫へ・・・紙風船を打ちあう夫婦の姿は、それまでのいさかいの修復を予感させて、突然おわってしまう。
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この<話の途中>でいきなり終わるのは、成瀬巳喜男の特長の1つだ。
映画がおわっても登場人物たちの時間は続いていく、ということをかんじさせて、余韻がのこる。映画がおわれば、そこで描かれた問題は全部解決してしまうわけではない。
この意味でも『驟雨』はすばらしいが、成瀬巳喜男の代表作といわれる『浮雲』(1955年)は、ラストシーンに関して、最後がくどくど描かれている点で、成瀬巳喜男作品らしくない。