かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

奥田英朗著『オリンピックの身代金』


田舎の中学生だったわたしは、1964年というと、オリンピックよりなにより、まずはビートルズと出会った年である、ということがいちばん先にきてしまう。


その夏、築地の「松竹セントラル」で、映画『ビートルズがやって来る ヤア!ヤア!ヤア!』を見て、以来頭のなかが全部ビートルズで占められてしまった(笑)。


この小説にも、『ヤア!ヤア!ヤア!』を見てビートルズのとりこになってしまうふたりの女の子が登場する(19歳というのは、当時のビートルズ・ファンとしてはかなり高齢な部類にはいる)。



『オリンピックの身代金』の著者、奥田英朗(おくた・ひでお)さんは1959年生まれだから、当時5歳くらいで、オリンピックをうっすら憶えていても、実際に見たり聞いたりしている年齢ではない。なのに、綿密な資料の調べと描写の力で、1964年の夏と秋が再現されている。


じっさいにその時代の渦中にいても、いち中学生の狭い視点からでしか見ていなかった出来事が、この小説を読むと、ああそういうことがあの頃あったんだなあ、とはじめて知らされることも少なくない。小説家の想像力というのは、すごいものだ、とあらためて感心してしまった。



小説は、上下巻だが、上巻であっさりと犯人が特定されてしまう。だから、犯人探しのミステリーではない。犯人の行動とそれを追う刑事たちの格闘が、息詰まるサスペンスになっている。


この文庫本の解説で、川本三郎さんが書いているけれど、『オリンピックの身代金』は、松本清張を継承している。松本清張は、犯行の動機にスポットをあてた。清張の読者は、読んでいて、その犯人の悲しい生い立ちや不平等な人生に同情した。


『オリンピックの身代金』も、読者は犯人の動機に同情して、主人公の<犯行>をなんとか成功させてあげたい、という気持ちになってしまう。そう思わせる力が、この作品にはある。


小説の舞台に、本郷、品川、羽田、上野、江戸川橋、赤羽、夢の島、そしてオリンピックの会場になる神宮外苑などなど・・・1964年の東京の町々が具体的に描かれていて、その時代へタイム・トリップしているような気分も味わえた。