かぶとむし日記

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加藤直樹著『九月、東京の路上で〜1923年関東大震災ジェノサイドの残響』を読む。


九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響

九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響


去年からの流れで、お正月早々重い内容の本を読んでしまいました。並行して軽い本も読んでいたので、元旦からこれだけ読んでいたわけではないけれど。



加藤直樹著『九月、東京の路上で』は、1923年9月、関東大震災の際、日本人が行った朝鮮人虐殺の記録。どこの場所で、どのように虐殺がおこなわれ、何人が犠牲になったか・・・・・その経緯が、資料や取材をもとに詳細に記されている。読むのはつらい。なぜ、過去の日本の恥ずかしい「負の歴史」を掘り起こすことが必要なのか、ともおもう。


しかし、おどろいたことに、歴史的にも明らかなこの「朝鮮人虐殺」を「なかった」とする本も出版されているらしい。あいまいに放置していると、都合の悪い出来事は忘れさられ、勝手に歴史が修正されていく。


著者がこの本を書く動機になったのは、新大久保でのヘイトスピーチの集団を目の当たりにしたことが契機で、いま関東で大地震が起きたら、再び同じような悲劇が繰り返されるのでは、と、そんな危機感から・・・。


「まえがき」を引用すると、

実際目にするヘイトスピーチデモは聞きしにまさる醜悪さだった。進軍ラッパとともに始まる演出。「ぶち殺せ」「たたき出せ」といったシュプレヒコール。デモの人数に対して過剰なほどに多く林立する日の丸と旭日旗。軍人のコスプレをしている者や、日の丸のマントで体をすっぼり包み、プロレスラーのような覆面をした男もいる。韓流ショップを訪れた女性たちを罵る者もいる。それはこの上なく許しがたいと同時に、脱力するほどばかばかしい振る舞いでもあった。


1923年(大正12年)の関東大震災は、10万人以上の死者を出した大参事だったが、これにさらに凄惨な相を与えたのが、「朝鮮人が放火している」「井戸に毒を投げている」という噂を真に受けた人々が刃物や竹ヤリなどで行った朝鮮人(さらには中国人)の無差別虐殺だった。行政や軍もこれらのデマを事実と思い込み、率先して広め、ときには殺害を実行した。東京はそのとき、かつてのユーゴスラヴィアルワンダのようなジェノサイドの街だった。


普通の人々が、民族差別(レイシズム)に由来する流言につき動かされて、虐殺に手をそめた過去をもつ都市。いつ再び大地震が来てもおかしくない都市。そこで今、かつてと同様に「朝鮮人を皆殺しにしろ」という叫びがまかり通っている。これはあまりにまずい事態ではないか。


「うちのお祖母さんが言っていました。日本人は豹変する。だから怖いと」
かつて在日コリアンの女性から聞いた言葉が頭をよぎった。


関東大震災は過去の話ではない。(略)


無抵抗の朝鮮人を、大勢の日本人が凶器をもって取り囲み、弁明や命乞いを無視してなぶり殺しにする・・・そんな信じられないような光景が、外国ではなく、日本の過去の歴史で起こっていたということ。


目次から、虐殺の時間と現場を列挙しておきます。そこでどのようなことが起こったのかは、直接読んでみてください。

1923年9月2日

  • 未明、品川警察署前---「朝鮮人を殺せ」
  • 午前5時、旧四つ木橋付近---「薪の山のように」
  • 昼、神楽坂下---「神楽坂、白昼の凶行」
  • 午後、警視庁---「警察がデマを信じるとき」
  • 午後2時、亀戸駅付近---「騒憂(憂に手偏)の街」
  • 午後8時、千歳烏山---「椎の木は誰のために」

9月3日

  • 午前、上野公園---「流されやすい人」
  • 午後3時、東大島---「中国人はなぜ殺されたのか」
  • 午後4時、永代橋付近---「曖昧さに埋められているのは」

9月4日

  • 午前2時、京成線・荒川鉄橋上---「体に残った無数の傷」
  • 朝、亀戸署---「警察署の中で」


以上は、資料などが残って明らかになっているもので、もちろん、これがすべてではないはず。


避難民が東京から関東の地方一帯へ流れると、そこでも流言が拡がり、朝鮮人の虐殺がおこなわれた。民間だけではなく、軍・警察・マスコミまでも流言を信じてしまった、というから手のほどこしようがない。