かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

ミシェル・アザナヴィシウス監督『あの日の声を探して』を見る(5月10日)


「よさそうな映画だよ」といって、妻が録画しておいてくれた映画紹介のテレビ番組を見たら、なるほどおもしろそうだ。おもしろそうだ、という表現はこういう映画には適切でないけれど・・・。


公開は4月24日。まったくノーマークで、映画の存在自体知らなかった。上映している映画館を調べたら、東京近辺では、日比谷と新宿の2館だけ。幸い、きょうは特別な予定もない。妻に東京へ出て、この映画を見てこよう、と誘う。妻も賛成した。


新宿武蔵野館の午前11時25分からの回を、ネットで2枚予約。娘の住んでいる西川越駅の格安駐車場へクルマを置いて、西川越駅→川越で埼京線に乗換え、遠回りだけれど乗換えがないから、と妻がいうので、大宮、赤羽をぐるっと回って、新宿へ出る。


電車のなかで湊かなえの『花の鎖』を読む。おもしろい展開なので、新宿までが少しも長く感じられなかった。


早めに新宿へ着いたので、洋服を見る、という妻と別れて、紀伊國屋書店で時間をつぶした。



『あの日の声を探して』は、1999年のチェチェンが舞台。国際情勢に知識がないので、詳しい時代背景はわからない。それでも、一気に映画に没入。


少年の見ている前で、父が母が、ロシア軍の兵隊に銃で撃ち殺される、という衝撃的なシーンからはじまり、その展開に目が離せなくなる。


少年は、まだ赤ん坊の下の子を抱いて必死に逃げる。


この映画には、もうひとつロシア兵の若い青年の物語が並行して展開する。彼は軽犯罪で警察へ連れて行かれるが、その後解放されることなく、事情もわからぬままロシアの軍隊に送られる。


青年の穏やかな人柄は、軍隊では、いじめのかっこうの餌食になり、日々殴られ蹴られ、身体じゅうから傷が消えることがない。


このどこにもいそうな青年が、軍隊のなかでしごかれ、次第に凶暴になり、殺人兵器と化していく、その展開がリアルで怖い。


両親をロシア兵に殺された少年と、軍隊のなかで殺人兵器として化していくロシア青年の、ふたつの物語が、最後でひとつに重なるところは、構成のうまさにハッとする。


それにしても、戦争には勝ちも負けもない。ただ無慈悲で残虐なだけ。大切なものを失って、憎しみだけが蓄積される。そしてどう美化しても、軍隊は、正常な人間を狂気に追いつめていく殺戮の組織でしかない・・・そんなことを考えながら、映画館を出る。


こういう傑作を見ると、戦争のヒロイズムをあんちょくに賛美するアクション映画が、あらためてバカバカしく感じられる。



帰り「磯丸水産」で昼食。妻が「東京まで見にきたかいがあったね」と、いった。



『あの日の声を探して』公式サイト↓
http://ano-koe.gaga.ne.jp/