かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

雑司が谷墓地へ夏目漱石の墓参り(12月11日)


友人たちと忘年会のある妻と池袋駅で別れ、散歩。はじめ鬼子母神へいってみたがものたりないので、そこから雑司が谷霊園に向かう。ずっと夏目漱石の墓を訪ねたいとおもっていながら、雑司が谷霊園にいくのは、はじめて。鬼子母神の前にある看板の地図を見て、見当をつけて歩く。途中迷ってからは、タブレットで方向をあたりながら無事たどり着いた。


雑司が谷霊園の管理事務所に霊園内の地図があったので、夏目漱石の墓はすぐにみつかった。漱石の墓には、たくさん花が供えられてあった。現在でも人気作家なのだ。来年9月、漱石終焉の場所(漱石公園)に、漱石山房記念館ができるのがたのしみ。



◉「新宿区立漱石山房記念館」ホームページ
http://soseki-museum.jp



漱石の次は、大塚楠緒子の墓を探す。


大塚楠緒子は、漱石の学生時代の友人、大塚保治の夫人。大塚保治は、旧姓が小屋保治。小屋保治と漱石は、大塚楠緒子の婿候補だったが、楠緒子の両親は娘の婿に小屋保治を選んだ、といわれる。結婚した小屋は、大塚姓を名乗った。


この関係は、下宿のお嬢さんをめぐる、『こころ』の「先生」と「K」の関係を彷彿させる。楠緒子は、詩や小説も書く、才色兼備の女性だった。漱石の理想の女(ひと)だった、ともいわれている。


美人薄命というのか、大塚楠緒子は、1910年(明治43年)、35歳で亡くなってしまう。そのとき、漱石が楠緒子に手向けた句が、知られている。


「有る程の 菊抛げ入れよ 棺の中」



大塚楠緒子の墓は、なかなか見つからず、行きつ戻りつして、やっと見つけた。墓石には、「大塚保治妻楠緒子」と書いてあった。


大塚楠緒子の詩をひとつあげておこう。

<お百度詣>

ひとあし踏みて夫(つま)思ひ、
ふたあし國(くに)を思へども、
三足ふたたび夫おもふ、
女心に咎(とが)ありや。

朝日に匂ふ日の本(ひのもと)の、
國は世界に唯一つ。
妻と呼ばれて契りてし、
人も此世に唯ひとり。

かくて御國(みくに)と我夫(わがつま)と
いづれ重しととはれなば
たゞ答へずに泣かんのみ
百度まうで(お百度詣で)あゝ咎ありや


「夫」と「国」とを比べるなかで、想いは夫へ傾いてしまう女心が詠われている。静かな反戦歌。



雑司が谷霊園をあとにして、何か忘れたような気がしていたが、永井荷風の墓も、ここにあることを思い出した。もどるのも疲れていたので、次回の楽しみとして池袋へ向かう。あとは、居酒屋で一杯やって帰るのみ。池袋駅に近い「清瀧本店」へ寄って、かつおの刺身などを肴にホッピーを飲む。