かぶとむし日記

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前田速夫著『「新しき村」の百年<愚者の園>の真実』を読む。


「新しき村」の百年 <愚者の園>の真実 (新潮新書)

「新しき村」の百年 <愚者の園>の真実 (新潮新書)



新しき村」は、武者小路実篤が提唱し、1918年(大正七年)、宮崎県児湯郡木城村で(日向の新しき村)スタートした。


その後、ダム建設のため、この土地の半分を失い、1939年(昭和14年)、埼玉県毛呂山町(東の新しき村)に活動の中心を移し、今年で創立100年を迎える。著書によれば、ユートピアの実現例としては、異例の長寿だという。


武者小路実篤をわたしは、高校生のころ知り、かたっぱしから出ている文庫本を読んで、一種の武者小路実篤の信者のようになっていた時代がある。そのころ、本屋さんには、全部を読み尽くせないほどすごい量の実篤本が並んでいたのを思い出す。いまは、実篤の著書で手軽に手にいれられる作品が少ないのが残念。

武者小路実篤というひとは、どんなひとだったか?


武者小路実篤を評した、画家・中川一政の「この人」という詩がある。

武者小路実篤 この人は小説を書いたが小説家と言ふ言葉で縛られない哲学者思想家乃至宗教家と云ってもそぐはない そんな言葉に縛られないところをこの人は歩いた。


新しき村」は、「自他共生」、「人類共生」という精神を根本にしている。これだけでは、あまりに茫洋としていてつかみどころがないかもしれないが、「新しき村」は、そういう広さ、大きさ、緩さを、大事にしている。それは、創立者武者小路実篤の人柄そのままでもあるような気がする。


誰をも命令しないし、誰からも命令されない、社会。一定の義務労働をし、あとは自由に、誰にも邪魔されず、自分の才能・技術や趣味趣向を最大限生かしていく・・・「自他共生」の精神とは、簡単にいえば、そういうことではないか。


新しき村」には、国家という概念がない。「個人」の次は、一気に「世界」もしくは「人類」へ飛ぶ。この飛躍が「新しき村」らしい。


武者小路実篤と「新しき村」のひとたちは、「個人」を大切にし、国家を超えて、「世界」が等しく幸せになることを、「村」の精神としてめざす。


これは、個人の自由に制限を加え、国家の力を増大化しようとする、いまの安倍政権の「憲法改悪」とは真逆にある。



全部に目を通しているわけではないけれど、「新しき村」について書かれた本で、誕生から現在までの100年を、これだけまとまって書いたものはないのではないか。


「日向の村」時代までなら、大津山国夫氏の書いたものが詳しく、内容も濃い。けれど、「東の村」まできちんと俯瞰したものは、この本で、はじめて読むことができた。


わたしの住んでいる川越から「新しき村」がある毛呂山は近いので、卵や野菜を買いながら、なんどか「東の村」には足を運んでいるが、その村の現状を、この本で詳しく知ることができた。よく調べて、書いてくださったとおもう。