かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

宮本輝著『錦繍』を読む。

錦繍(きんしゅう) (新潮文庫)

錦繍(きんしゅう) (新潮文庫)


宮本輝の『錦繍』をはじめて読んだのは、ずいぶん前だ。ネットで調べてみたら、1982年に新潮社で出版されている。ほぼ同時期に『青が散る』も出ていて、これも読んだ。


錦繍』を読むのは、今回で何度めだろう。電子書籍にあったので、ひさしぶりに読み返してみた。



宮本輝著『錦繍』は、書簡小説。全編、女と男の手紙で構成されている。


もと夫婦だったふたりが、お互いが好意を持ちながら「ある事件」のために不本意のまま別れなければならなくなる。


10年後、「蔵王のダリア園から、ドッコ沼へ登るゴンドラ・リフトの中で」ふたりは偶然に再会する。


男性は、ひどくうらぶれたような様子。女性はからだの不自由な子供(8歳)を連れている。


ゴンドラのなかで、ふたりは話をしない。男は、コートの襟を高く立て、外の紅葉を眺めている。女性は、男を見ながらもその姿の変貌におどろき、声をかけられないまま再会は終わる。


小説は、男性の居場所を探し出した、この女性の1通の手紙からはじまる。そこから脈々とふたりの過去の事件、その後のことが語られていく。


冒頭の部分を書き出す。印象的な書き出しで、一気に小説世界に引きこまれてしまう。

蔵王のダリヤ園から、ドッコ沼へ登るゴンドラ・リストの中で、まさかあなたと再会するなんて、本当に想像すら出来ないことでした。私は驚きのあまり、ドッコ沼の降り口に辿り着くまでの二十分間、言葉を忘れてしまったような状態になったくらいです。



とてもさびしい小説。切ないといってもいい。それは、ふたりの感情が10年経っても整理がついてないから。愛情が冷めてないから。


とくに女性のなかでは、離婚の原因になった「事件」(夫の心中事件)の真相も、そのときの夫の心のなかも、何もわからないまま別れたきりだったから。


二人の手紙のなかで、「事件」のことも、それから二人が過ごした10年の日々のことも語られていく。


わたしは、何度読んでもこの小説に感動してしまう。そしてこの若かった、のほほんとした令嬢が、その後苦労を重ねていく月日に思いを馳せてしまう。もっといえば、この女性に惹かれてしまう。


モーツアルト」という喫茶店で、あてもなく、ぼんやりコーヒーを飲みながら過ごす女性のさびしい姿が、強く心に刻まれる。


二人のその後がどうなっていくかは、いまあらたにこの本を読もうとするひとのために伏せておきます。