かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

メアリー・シェリー著『フランケンシュタイン』を読む(2月4日)。

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フランケンシュタイン」は、俳優・ボリフ・カーロフのイメージが強いが、これは、ケネス・ブラナー 監督の映画『フランケンシュタイン』(1994年)で、ロバート・デ・ニーロが演じた「人造人間」。わたしは見ていない。




2月4日、月曜日。


「渋谷ヒューマックスシネマ」へ、二宮健監督の映画『チワワちゃん』を見にいく。


上映の12時40分まで、2時間近くある。喫茶店で「フランケンシュタイン」(メアリー・シェリー著、小林章夫訳)を電子書籍で読む。


フランケンシュタイン (光文社古典新訳文庫)

フランケンシュタイン (光文社古典新訳文庫)


先日映画『メアリーの総て』を見てから、子供のころ以来読み返していない原作(子供のころ読んだのは、子供用にリライトされたもの)をもう一度読んで、記憶にある内容を確認してみたいとおもっていた。



原作は19世紀に書かれている。そのせいかどうか、話のペースがゆっくりで、ものがたりの核心にいくまでが長い。1冊の50%近くまでいっても、フランケンシュタイン博士が造った「人造人間」が登場しない。周辺の人物への記述が長々と展開する。昔読んだ子供用の本は、このへんをだいぶ割愛していたのではないだろうか。


フランケンシュタイン博士の、人造人間を造るまでの経過がしばらく続き、50%をすぎて、やっと「人造人間」が博士の前に登場する。


「彼」は独学で習得した言語(英語だろう)で、人間に発見されれば、理由もなく弁明も許されず、ひたすら武器をもって追われる、悲惨な体験について語る。


おどろくのは「彼」が、かなり言語に習熟していること。ある日、拾った旅行鞄のなかに書物を発見。隠れ場所へ持ち帰り、1冊ずつ読破していく。


「彼」が読んだのは、


あのフランケンシュタイン博士の「人造人間」が、こういう古典(当時としても古典の部類にはいるのではないか)を読んでいるのだから、びっくりする。「彼」は、書物から人間のことを学び、自分の心の苦しみ、悲しみを、客観的に認識する。


「彼」は醜悪な外貌で、人間に発見されれば、武器をもって追いたてられるが、ほんとうは、ただ人の愛情と優しさに飢えているだけ。「彼」の心は、ふつうの人間だった。


誰にも愛されない醜悪な「人造人間」が、フランケンシュタイン博士に要求するのは、もうひとり自分の伴侶を造ってくれということ。そうしたら、もう人間の住むところには現れない、と約束する。でもひとりではさびしい、だから、自分の伴侶を造ってくれ、と博士に要求する。


これは、「彼」が旧約聖書の「失楽園」を読んで、楽園から追放されたアダムとイヴを意識したのかもしれない。


そこまで読んで映画館へ向かう。