かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

毛呂山の「新しき村」を訪ねる(2月16日)。

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新しき村」の入り口に立つ2本のポール。




2月16日、土曜日。


新しき村」には、梅がきれいに咲く。それを見ようと、でかける。川越の家からクルマで、40〜50分くらいか。


「村」の入り口には、ポールが2本立っている。


「この門に入るものは自己と他人の生命を尊重しなければならない」


「村」の根っこの精神。創立者武者小路実篤(むしゃこうじ・さねあつ)の直筆だ。


自己を生かそう、自我を貫こう、でも、他人の自我も尊重して、お互いをジャマしないようにしよう、という「自他共生」の精神が書かれている。


新しき村」は、組織された村ではない。独立人の集まり。おもしろいのは、「新しき村」には組織論や経営論のようなものがない。性善説で成立している。簡単にいえば、ものすごくルールのゆるいところ(笑)。戒律のない村なのだ。離村も、自分の意思ですぐできる。


ただ、入村はそれなりに審査と仮入村期間がいる。「村」で実際暮らしてみて、あるいは仕事をしてみて、双方がよければ正式に入村、ということになる。


ここでは「仕事(労働)」が目的の本流ではない。一定の「仕事(労働)」をしてからの余暇の時間、自分のしたいことをする、その時間の使い方が本当の目的だ。


そこに「村」が、他の団体や組織とちがう特色がある。利益目的の団体とはちがう独自性がある。


創立は、1918年(大正7年)。昨年で、創立100年になる(1918年、宮崎県木城村でスタート。さいたま「東の村」は、1939年(昭和14年)から)。


長い歴史をもった「村」なのだ。ゆるくゆるく100年も続いてきた(笑)。


「村」が独立採算になるまでの40年間、不足分は、武者小路実篤が原稿料で援助してきた。プロレタリア文学が台頭し、実篤の収入が激減したときも、借金をして「村」を支えた。


武者小路実篤が「村」に注いだ出費は膨大なものになるだろうけど、ふしぎなひとで、そういうそろばん勘定などないひとだった。


武者小路実篤は、「『村』はいつかものになる」と信じていた。


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武者小路実篤氏、自画像。


もちろん「村」のなかで、武者小路実篤は尊敬はされていたけど、彼は「村」の統率者ではなかった。いまも、組織の長というようなひとはいない。ひとりひとりが「村」の代表だ。


武者小路実篤は、「村」を外から支援する「村外会員」のひとりとして支援してきた。1976年(昭和51年)に、武者小路実篤が亡くなったあとも、「新しき村」は、ゆらぐことなく続いている。




「村」で暮らすには、入る側、受け入れる側ともに、いろいろな条件を整える必要があるけれど、「村外会員」ならいつでも誰でもなれる。「村外会員」は、自由に村のお祝いや行事に参加したり、農業の手伝いをしたりして、「村外会員」の宿泊施設もある。村外会員の会費は、年間6000円。毎月、雑誌「新しき村」が届く。


しかし、「新しき村」も高齢化がすすみ、いまや存続もあぶない状況になっている。ひところ60人いた「村内会員」(村の中で暮らすひと)は、現在8人となってしまった、という。


しかし、『「新しき村」の百年 <愚者の園>の真実 』の著者・前田速夫氏のように、その精神に共感し、村外会員や村に共感するひとたちに働きかけ、もう一度「村」を再生させようと計画しているひともいる。


「新しき村」の百年  <愚者の園>の真実 (新潮新書)

「新しき村」の百年 <愚者の園>の真実 (新潮新書)

詳しくは、「新しき村」のホームページ。
http://atarashiki-mura.or.jp


「with news」を参照してください。
https://withnews.jp/article/f0181127000qq000000000000000W0ae10101qq000018362A


簡単に「村」の概要をいえば、そんなところかな(長くなってしまった、笑)。



村内には、複写などで名画をたのしめる、無料の「新しき村ギャラリー」と、武者小路実篤を中心に、交流のあった長与善郎、千家元麿倉田百三中川一政、椿貞雄、河野通勢などの作品、さらには「村」のひとたちの絵が展示されている有料(200円)の「新しき村美術館」がある。


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新しき村美術館」への案内板。


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新しき村ギャラリー」の館内。





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岸田劉生が描いた若き日の武者小路実篤(「新しき村美術館」所蔵)。


ふたつの美術館を見学してから、奥の梅林を散歩する。時期が早いのか以前きたときほど、きれいな梅は見られなかった。


ここにくると、農薬を使わない野菜や卵を買って帰ったけれど、いつからか卵が安値になったのと、人手不足のため、村のいちばんの収入源だった「鶏卵」を廃業してしまったらしい。いまの主な収入源は、「太陽光発電」の売電とか。


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太陽光パネル」が「村」の新しい景観になっている。


ひさしぶりに100年の歴史をもつ「新しき村」のなかを散歩し、そこからさらにクルマで20分ほど走って、越生梅林へ向かう。



越生梅林は、あと1週間くらいで満開になるらしい。みやげもの売り場にクルマを置いて、近くを散歩してみる。


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