3月13日、水曜日。
11時30分から、「イオンシネマ板橋」で、クリント・イーストウッド監督の『運び屋』を見る。
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長く園芸の仕事に打ち込み、家族のことをかまわなかった90歳の男が、仕事に失敗し、家も差し押さえられる。長い間家族を粗略に扱ってきた結果として、彼は、家族からも冷ややかな目で見られる。
行き詰まり、途方にくれていたところ、運転するだけでいい、という気楽そうな仕事を紹介され、おどろくような高額な報酬をもらう。
すぐにヤバい仕事だとわかるが、お金を持つと、周囲や家族の目が変わってくる。90歳の老人が、ちやほやされるようになる。
老人は、危険を承知しながら、その仕事に深く手を染めていく。
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なんといっても、年輪のしわがすごい主演のクリント・イーストウッドに目が釘付け。老醜を隠さないどころか、あえてアップで曝す。もっとも土台が二枚目だから、老醜といっても、どこか毅然としてかっこいい。この男なら、危険も乗り越えていくような気がしてしまう。
年輪ということでいえば、わたしは少年の頃、テレビドラマ『ローハイド』で、カーボーイの若造役で出ていた若いクリント・イーストウッドを見ている。役名は、ロディ。隊長のフェイバーさん(エリック・フレミング)と、この若造ロディの、ふたり主演の西部劇だった。
ウィキペディアを見たら、西部劇『ローハイド』が日本で放映されたのは、1959年〜1965年まで。わたしも、テレビっ子の時代で、毎週たのしみに見ていた。だから、クリント・イーストウッドというと、この西部劇の若造のイメージがずっと強かった。
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西部劇『ローハイド』のクリント・イーストウッド。若い! 二枚目!(笑)。
黒澤明の『用心棒』をイタリア版西部劇に置き換えたといわれる、マカロニウエスタン『荒野の用心棒』を見たのは、ずっとあと。
公開当時は、マカロニウエスタンも刑事役の『ダーティハリー』シリーズも興味がなかった。
監督として知ったのは『マディソン郡の橋』(1995年)、『ミスティック・リバー』(2003年)を見たころから。
2006年の『父親たちの星条旗』と『硫黄島からの手紙』の2作を見て、監督としてのクリント・イーストウッドをはっきり意識するようになった。日米戦争をどちらにも偏ることなく、センチメンタルにもならずに描いていた。
わたしがアメリカ映画に興味がうすいのは、家族や親子を描いても、類型にはめてしまうようにおもうことが多いから。映画を大量につくるなかで、たくさんのヒットする「類型」を準備して、そのどこかにあてはめていく、そういう「ヒットの文法」があらかじめあるようにみえて、だんだんに興味をそがれていくようになった。
黒澤明監督が、アメリカ映画『トラ・トラ・トラ』の監督を要請され、アメリカ式の映画の撮り方に従わず、黒澤方式で撮ろうとして、監督をはずされたことも、日米の映画に向かう姿勢に違いがあった、といわれている(詳細は知らない)。
クリント・イーストウッドの映画は、黒澤方式のように、監督個人の濃度が強く作品に反映されている。人物は類型からはみだしている。
わたしは、そこに惹かれて、彼の映画が公開になると、見にいくようになった。そして、濃淡はあっても、ある程度の満足は味わって映画館を出る。
今回の映画『運び屋』も、もし監督・主演がクリント・イーストウッドでなかったらどうだろう? 麻薬の運び屋という話にどれだけ興味をもてたか。麻薬運搬人がアクションで描かれたら、まったく関心がわかない。でも、クリント・イーストウッドはそうは描かないことはわかっている。
『運び屋』では、仕事が破産して、家族からも見放された老人が、もう一度家族や周囲の関心を取り戻すために、危険な仕事と知りながら手を染めていく。
クリント・イーストウッド監督は、孤独な老人の姿を冷徹に、じっとみつめている。
わたしは、若造だったロディのクリント・イーストウッドが、90歳の老人を演じる、長い年月とか年輪のようなものを、自分なりの想いのなかで、味わいかみしめた。
あと、麻薬捜査官役で、『スター誕生』に出ていたブラッドリー・クーパーが出ている。いままでヒゲでなかなか顔が判別できなかったけれど、やっと顔を覚えた。
二枚目で、かっこいい(笑)。