かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

参議院選挙の日(7月21日)。



7月21日、日曜日。曇り時々雨。


午前、わたしは期日前投票を終わらせているので、妻はひとりで投票へいく。わたしはソファで寝転びながら、ぐうたら読書。


金子文子の手記『何がわたしをこうさせたか』を区切りのいいところまで読み、途中から電子書籍に切り替え、井上荒野(いのうえ・あれの)の小説『あちらにいる鬼』を読む。



井上荒野の『あちらにいる鬼』は、瀬戸内寂聴をモデルにした作品。瀬戸内晴美の名作『夏の終わり』発表後の時期から、出家して90歳ころまでの長い時間が描かれる。


子供と夫を捨ててまでいっしょに住んだ男に愛情が感じられなくなったころ、白木という、女性にモテる小説家と知り合う。白木は、長内みはる(瀬戸内晴美)に興味をもつが、長内も、白木に惹かれていく。


白木には、聡明で魅力的な妻・笙子(しょうこ)がいた。


白木とみはる、
白木と笙子、
みはると笙子、


この3組のいりくんだ感情の流れを描いていく。


みはるの「章」と笙子の「章」が、交互に綴られていく。このふたりの女性が主人公。


みはると笙子は、はじめ白木という男をとおしてのライバル関係にあるが、女にだらしない白木という男をあいだに挟んで、ふたりに共感のような感情が生まれていく。


白木の若い恋人のひとりが「全部奥さんにバラしてやる」というと、長内みはるは、笙子のためにその女性を憎む。


自分も白木の愛人でありながら、みはるは、笙子を傷つけたくない、とおもう。


白木からも小説からも離れる覚悟で、長内みはるは出家を決意する。


出家してから白木と男と女の関係はなくなるが、交流はつづく。ときには、白木だけでなく、笙子と会うこともある。ウソつきでいつも新しい女の影がある白木に、みはるも笙子も、傷つき、呆れながらなお執着している。


みはると白木の関係以上に、みはると笙子の複雑な心の結びつきが興味深い。


それにしても、小説家ってすごい、と感心する。


瀬戸内寂聴を描いた小説だが、作者は瀬戸内寂聴ではない。なのに、しばしばわたしは語り手が瀬戸内寂聴のような錯覚を起こしてしまう。それほどに、モデルの複雑な心の動きを自由奔放に描いている。



午後、DVDで若松孝二監督の『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』を見る。むかし見たことがあるけれど、井浦新(いうら・あらた)がラジオでこの作品の話をしていたのを聴いて、もう一度見たくなった。三島由紀夫を演じるのは、井浦新


三島由紀夫の思想にはぜんぜん共感できない。切腹という自殺行為にも、不快感を感じるだけ。


憲法を改正して、天皇を君主に復活させ、自衛隊を強力な軍隊にする、という考えは典型的な右翼思想のようにもおもえるし、「日本会議」や安倍政権の基本的な思惑と似ているようにも感じられる。


ただ、米国に隷属している現在の政権を、三島はどのように評価するだろうか、それは聞いてみたい。



夕方、娘と双子が遊びにくる。妻の運転で、上尾の日帰り温泉「利久」までドライブ。


夜は、娘たちが帰って、午後8時から深夜まで、選挙報道を見る。


自民・公明の強さにはシラけるが、改憲勢力が2/3を割り込んだことにホッとする。


投票した「れいわ新選組」が2議席を確保、そして政党要件を満たしたことには、次回からの選挙戦に希望を感じる。


もうメディアも彼らを無視しつづけることはできなくなるだろう。