きっかけは、のんちさんがブログで紹介してくれたのを読んで。さっそくAmazonで検索し、中古品全10巻をみつけて注文した。
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原作:藤井哲夫。作画:かわぐちかいじ。
現在(といってもこの作品が講談社の『モーニング』に連載されたのは2010年)から、とびっきり腕の立つ日本人の4人組「ファブ・フォー」が、踏切事故に遭遇して1961年の日本へタイム・スリップしてしまう。
1961年=まだビートルズは世界どころか、ロンドンでも知られていない時代(ビートルズが「ラブ・ミー・ドゥ」でデビューするのは、1962年10月)。
「ファブ・フォー」が演奏するのを見た慧眼の女性が彼らのマネージャーを買って出る。「ファブ・フォー」が演奏するのは、ビートルズが1962年から1970年に発表した楽曲。それを「ファブ・フォー」は、1961年に演奏する。評判にならないわけがない。
1961年の日本では、リード・シンガーとバック演奏のバンドははっきり分かれていた。「ファブ・フォー」のように、歌と演奏を自分たちでやってしまうバンドは新鮮そのもの。彼らは一流の演奏者であって、卓抜なシンガーでもあった。しかも、演奏する楽曲はオリジナル作品だという。プロの作詞・作曲家チームが楽曲をつくるのがあたりまえの時代だった。
「ファブ・フォー」旋風が、渋谷のライブハウス「リボルバー」から巻き起こる。彼らは当時野外球場だった「後楽園」で演奏するまでビッグになるが、成功すればするほど彼らの悩みは大きくなっていく。
自分たちが演奏しているのはビートルズの楽曲で、気持ちはトリビュートしているつもりでも、事実は盗作だった。
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全10巻、サクサク読んだ。おもしろい! どうなるのどうなるの、と読んでいるとやめられない。
原作、作画にはしっかりビートルズへの敬意が感じられる。細かなこだわりが感じられる。
このマンガの舞台は1961年だけれど、「ファブ・フォー」を目撃した驚きは、1964年にわたしたち初代のファンがビートルズを、知って、聴いて、見て、実際に受けた感動そのもの。リアルな体験がもとになっている。
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映画『イエスタディ』がこのマンガ『僕はビートルズ』と発想がにている、という話を聞いて、なるほどとおもう。
映画『イエスタディ』の主人公は、事故でビートルズのいない世界へ空間移動してしまうけれど、マンガ『僕はビートルズ』の4人は、ビートルズがまだ無名だった1961年に時間移動してしまう。
マンガ『僕はビートルズ』の世界では、ビートルズは存在していて、イギリスのリバプールやドイツのハンブルグで、まだ海のものとも山のものともわからないままさかんに腕を磨いている。大きくなろうとしている。
ビートルズを先取りしてしまった「ファブ・フォー」の存在が、これから世界に頭角をあらわすはずのビートルズにどんな影響を与えてしまうか、というテーマ。これは映画『イエスタディ』にはないもの。
マンガ『僕はビートルズ』の後半のおもしろさは、「ファブ・フォー」がビートルズの歴史へどんな影響を与えるか、に焦点が集まっていく。
映画『イエスタディ』は、ビートルズのメンバーがもしビートルズというとてつもない大きな負荷(先に亡くなったジョン・レノン、ジョージ・ハリスンにはこの思いが多かれ少なかれあった)を背負わなかったら、どんなもうひとつの人生を送っていたか、を想像させるテーマが、映画の後半でわたしたちを感動させる。それはマンガ『僕はビートルズ』にはない。
以前、映画『イエスタディ』のコメントで、ジェレミーさんがいっていた「不満」のひとつを思い出した。
それは、ビートルズの再現はやっぱりバンドでなきゃできない、という感想。この映画はなんでソロ・シンガーなの、という不満で、わたしも同感だった。
マンガ『僕はビートルズ』は、楽器から衣装、4人の演奏スタイルまでビートルズをこだわりつくす。
映画『イエスタディ』が、マンガ『僕はビートルズ』からヒントを得ているかどうかわからないけれど、どちらもわたしをたくさん楽しませてくれた。