映画『レット・イット・ビー』のワン・シーン。これがいっぱんに「ゲット・バック・セッション」といわれている。
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6月4日、夕方。
携帯電話(折りたたみ式)の画面が点滅を繰り返し、通話もメールもできなくなった。家に電話する用があったので、近くの公衆電話をさがしたが、ない。2ヶ月に1度くらい髪を刈ってもらっている散髪屋さんへいって、電話を借り、家と連絡をとった。
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時間を3時間ほどさかのぼって、午後お昼を食べながら、藤本国彦著『ゲット・バック・ネイキッド 1969年、ビートルズが揺れた22日間』を、Kindleで読了。
なんと、83枚組の海賊盤『THE COMLETE GET BACK SESSIONS』を聴き、音楽と会話を書き起こししたものを翻訳し、選りすぐった会話を抜き出して、解説を加えたもの。すごい労力をかけた本だけれど、それにみあう醍醐味がある。
会話の部分は、『ビートルズは何を歌っているか?』をCDジャーナルから出している朝日順子氏が翻訳している。朝日順子氏のおかげで、臨場感ある4人の会話を日本語で読める。
テレビ番組で、ビートルズ特集をやるとか、映画でビートルズのレコーディング・セッションを見せるとか、ビートルズが1966年以来のライブをやるとか、いろいろなアイディアが錯綜するなかではじまった企画。
しかし、4人にはちがった思惑がある。
ライブをやることに関して・・・
ジョン・レノンは、どこか外国がいい、とか、豪華客船で抽選で招待したファンたちと旅しながら、そのなかでライブをやったらどうか、とかいう。
リンゴ・スターは、外国へは行きたくない、毎日仕事が終わったら家へ帰りたい、ひさしぶりのライブは国内で、まず自国(イギリス)のファンに見てもらいたい、という。
ジョージ・ハリスンは、おおぜい集まって豪華客船で旅行なんてまっぴらだ。どういうライブも、いやだ(1966年までの狂気的なライブ・ツアーにこりごりしている)。スタジオでいいライブをやってそれをレコードにすればいいだろ、という。
ポール・マッカートニーは、そういう思い思いの発言がまとまらないことにイライラする。ポールにすれば、ほかの3人が気持ちよくやってくれれば、自国であろうと、外国であろうと、スタジオ・ライブであろうといい。重要なのは、4人が初心に帰ってこれからもビートルズであることをたのしんでいく、そのことだといっている。
民主的なバンドであることが裏目に出ると何も決まらない。
しかし、衝突を繰り返しながらも(ジョージが怒って、もうおれはビートルズをやめる、とスタジオを飛び出してしまった経過なども書かれている)、新曲がだんだん完成形に近づいてくると、ビートルズはこれまでに培った非凡な演奏能力を発揮してくる。4人も瞬間的なまとまりをみせる。
気分屋なのは、ジョン・レノン。やる気のないときは、ジョンではなく、ヨーコが口をはさむ。ほかの3人はそれがおもしろくない。誰がお前の意見を聞いているか、という気分がある。でも、それを表に出したら、即この場でビートルズは分裂してしまうだろう、とがまんする。
ジョンがやる気を出すとき、ビートルズの演奏は、グンとしまってくる。
当時(1969年)、ビートルズは、ポールを中心に動いていたが、ジョンのやる気があるかどうかで、その日の成果が決まる、という意味では、ジョン・レノンの存在はいつも大きい。
今年の秋、『ロード・オブ・ザ・リング』を撮ったピーター・ジャクソン監督『The Beatles: Get Back』(アメリカは9月公開、日本はまだ未定)で、こういったレコーディング風景を映像で見せてくれるのがいまから待ち遠しいけれど、映画は2時間の限りがある。
本には映像ほどのインパクトはないけれど、状況の推移は、筋道立ててわかりやすい。さらに4人の会話は、ビートルズ・ファンにはサスペンスを読むようなスリルがある(笑)。
「ゲット・バック・セッション」で解散一歩前までいったビートルズは、最後に製作したアルバム『アビー・ロード』で奇跡の復活をみせる。
ポール・マッカートニーの熱意が4人をもう一度やる気にさせたか、といちどはファンにも希望を与えてくれたが、そのあとでビートルズはあっけなく解散してしまう。その経過も、本に詳しい。