かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

映画『私をくいとめて』と浪花千栄子自伝『水のように』(12月23日)。

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映画『私をくいとめて』。のんさんが、可愛い。




12月23日、水曜日。晴れ。


池袋の「グランドシネマサンシャイン」へ、大九明子(おおく・あきこ)監督、のん主演の『私をくいとめて』を見にいく。






映画『私をくいとめて』本予告 〈12月18日全国ロードショー〉



何年も恋人がおらず、ひとりきりの暮らしにもすっかり慣れた31歳の黒田みつ子。そんな彼女が楽しく平和に生活できているのには、ある理由があった。彼女の脳内にはもう1人の自分である相談役「A」が存在し、人間関係や身の振り方に迷った際にはいつも正しい答えをくれるのだ。




(「映画.com」より)
https://eiga.com/movie/93509/


脳内に「もうひとりの私」がいる。その「もうひとりの私」と対話する。


こういう設定って、ぜんぜん新鮮さがない。これまでに、いろいろ見たり読んだりした気がする。じっさいに見たり読んだりしてなくても、発想が古臭いので、既視現象のような気がしてしまう。


なので、どういう展開をしていくのだろう、って見ていたが、とくに目新しい展開もない。正直、飽きた。それでも、途中でやめず最後まで見たのは、主演ののんの可愛らしさ。わたしには、それだけの映画だった。


原作は、綿矢りさ。少し前から小説『私をくいとめて』を読んでいるが、なんだか気持ちがはいっていかない。全体に子供っぽくて、これが芥川賞作家の作品?‥‥とおもってしまう。映画を見て、だいたいストーリーがわかったので、読むのをやめることにする。


以前見た原作・綿矢りさ大九明子監督の『勝手にふるえてろ』(松岡茉優主演、2017年公開)は、同じくひとり暮らしの女性を描いて、この映画と重なるところがあったけれど、そちらのほうがわたしにはおもしろかった。



コロナ禍の脅威が増加するばかり。混雑している池袋で飲まず、地元へ帰る。1時間ほど「コメダ珈琲」で、浪花千栄子の自伝『水のように』を読む。



水のように

水のように




浪花千栄子は、わたしがちいさなころは、いろいろなドラマに、関西のおかあさん役で出ていた。わたしが、ある程度おとなになってからは、小津安二郎黒澤明など、少し古い映画でみかけることが多かった。


むかし、閑散とした秩父の田舎道を友人とドライブしていたら、民家の壁に古ぼけたポスターが貼ってあった。見ると「オロナイン軟膏」のビンをもって浪花千栄子が笑っている。


古い知り合いと再会したように、懐かしかった。いまでも浪花千栄子というと、あのポスターの笑顔をおもいだす。



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これだ!




近くの居酒屋「春日」が午後4時からあいたので、飲みにいく。ここは、ひとり鍋を注文できるので、カキ鍋をたのみ、酎ハイを飲みながら、『水のように』の続きを読む。


幼少時代の半端でない奉公先での苦労。


芸能界へはいって、次第に人気をひろげていくも、夫・渋谷天外が、一座の若い女優と浮気。その女性とのあいだに、子供をつくったので、離婚。人間への不信感で、女優の仕事もやる気になれない‥‥。


そんなところまで読む。こちらのほうが、『私をくいとめて』よりもおもしろい。