かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

志賀直哉旧居(奈良)を舞台に書かれた小品「池の縁」。

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志賀直哉「池の縁」に登場する志賀直哉旧居の池(のんちさんのブログ「2月の奈良を、テクテク歩く」から拝借しました)。






30代のころまでは何度か行った奈良の志賀直哉旧居。その後も行きたい行きたいとおもいながら、遠出をめんどくさがる性格もあって、行けないままになっています。


先日、のんちさんがその「志賀直哉旧居」へ出かけ、記事と写真をブログにアップしてくださいました。とても懐かしかったし、うれしかったです。






nonchi1010.hatenablog.com




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それまであちこち転々と住んできた志賀直哉が、はじめて自分が設計に希望をいれて建てたという家(うち)で、彼の思想や生活観が反映された「旧居」です。


この時代に志賀直哉が書いた短編はいくつかありますが、いちばん「旧居」のふんいきを伝えるのは、「池の縁」ではないか、とおもっています。短いので、全文アップしておきます。





池の縁 志賀直哉


曇って温い日だ。錦魚(きんぎょ)を入れる一畳敷程の本函(ほんばこ)を先日梅の木を植ゑる都合で子供部屋の前へ移転した。昨日白毫寺(びゃくごうじ)村から来る男にそれを平らに据ゑさせ、水をはらして置いた。私は朝めしを済ましてから庭へ出て別の瓶に入れておいた錦魚と「もろこ」を木函の方へ移していた。三つとニヶ月位になる田鶴子(たづこ)という私の小さな娘が一緒になって要らざる手伝いをするのが少し煩かった。然し、私は今日は機嫌がよかったから、別に怒らなかった。その仕事を済ましてから、今度は瓶の方の水を更(か)へた。そして手を洗う為に家(うち)に入って行くと小さい娘もついて入って来て、洗面場(せんめんば)で私と一緒に手を洗った。私は煙草に火をつけ又庭へ出た。娘はエーアシップの吸口をくはへて又ついて来た。私は寝室の横から裏庭の方へ行くと、小娘は矢張りついて来る。二人を追ひ越して、前に谷崎(注:潤一郎)君から貰ったグレーハウンドの「ナカ」が走って行く。私と田鶴子と「ナカ」とはいつもかうして一緒なのだ。私が近所の友達を訪ねる時も小娘と犬とは屹度(きっと)ついて来た。私が隠れて出かけても後から必ず来るには閉口する。


裏庭に蓮や、睡蓮や、菖蒲や、河骨(こうほね)や、太藺 (ふとい)など植ゑた池がある。色々な黒い魚も入れてある。私と娘と犬は竝(なら)んで立って池を見てゐたが、冬の事で、植物は素より、魚も皆底の方に隠れてゐて見えない。


「きのうな、・・・蝉がな。・・・木で啼いてゐた」
小娘が急にこんな事を云い出した。此小娘の場合、過去は常に「きのふ」で片づけるので、いつの事を云ってゐるかとは思ひながら、


「ねえ、蝉とか蜻蛉とか、ああいう蟲は夏、あつい時でないと出ない。こんな寒い時分は蚊も蝿も居ないだろ。さうだろう」かういふと、
「嘘いひな」小娘は非常な自信で一言の下に否定した。「何を云ふか」といふ調子だ。
「馬鹿」私は笑った。
「嘘いひな」小娘はもう一度さう云ってにやにやしてゐる。
「お前こそ嘘いひな」と此方(こっち)もいって、二人で一緒に笑った。




この小娘は、五女の山田田鶴子さん。先日(2020年)我孫子の「白樺文学館」でひらかれた志賀直哉展」では、田鶴子さんの子供(志賀直哉の孫)・山田裕氏が所蔵品を提供してくれていました。