リンゴとジョージとフリーダ・ケリー。
「ビートルズの秘書を11年間してたけど何か質問ある?」海外掲示板にまさかの人物が現れ、ファン感激。
偶然見つけたサイトです。2013年9月11日のニュースというから、新しい情報ではなく、もうみなさん知っていることかもしれませんが、わたしは知らなくて、勝手におどろいています(笑)。
フリーダ・ケリーは、ビートルズのデビュー前から解散後まで、彼らのファン・クラブを支えた女性。このニュースと同じ2013年には、『愛しのフリーダ』というドキュメンタリー映画が公開されています(つるひめさんも、見ていますよね、笑)。
大好きなバンドのマネージャー・ブライアン・エプスタインから「ぼくのところで働かないか?」といわれたフリーダは、どんな気持ちだったのだろう?
フリーダは、ふだん着のビートルズを至近距離から見ている。彼女が見たビートルズってどんなだったのか、「らばQ」というサイトで一般の質問に答えています。わたしは、おもわず老眼鏡をつけて目をこらしました(笑)。
まずは、フリーダ・ケリーの略歴を映画『愛しのフリーダ』の解説から。
1961年、リバプール。17歳のフリーダはキャバーン・クラブの小さなステージで演奏している4人組と出会い、その音楽に衝撃を受ける。その後も何度もクラブへ通い、ファンとしてバンドメンバーとも親しくなったフリーダは、バンドマネージャーのブライアン・エプスタインから、バンドをマネージメントする会社の秘書に抜擢される。
確実な仕事ぶりと親しみやすさで信頼を獲得していったフリーダは、やがてファンクラブの運営も任されるようになり、想像を超える早さで世界的スターへと成長するビートルズを影から支え、見守っていた。
(略)
(「映画.com」から)
https://eiga.com/movie/79056/
あとは、「らばQ」というサイトからフリーダへの質問と彼女の回答を引用します。
Q: ビートルズの音楽は楽しんでいましたか? お気に入りは誰でしたか?
A: 音楽は楽しみました。秘書になる前からの大ファンでしたから。お気に入りに関しては彼らの機嫌と、私の機嫌により毎日変わりました。
Q: ジョン・レノンのことで、あなたのお気に入りのエピソードは?
A: 一度、楽屋で彼に首にされたことがあったわ! 私が「ムーディ・ブルース」という別の音楽グループの楽屋で時間を取られていたことにジョンは怒っていて、ビートルズの楽屋に戻ったときには時間がかかりすぎだと不満そうでした。私に「どこのファンクラブの秘書なんだ」と詰め寄ってきたのです。「ムーディ・ブルース」なのか「ビートルズ」なのかどっちなのかと。
私がそれを笑い飛ばして「ムーディ・ブルースのよ」と答えると、「もう首にするからムーディ・ブルースの楽屋に戻っていい」とジョンは告げました。 そこで私は他の3人のところに行って、私を首にするかを尋ねると、3人はそんなつもりはないと答えてくれえたので、私はジョンに向かって「わかりました。じゃあ3人のファンレターだけ取り扱うので、自分のファンレターは自分で処理してくださいね」と伝えました。
すると「今のは冗談だった」と言ってきたので、「あれは冗談じゃなく本気でした」と言うと、ジョンは「お願いだから戻ってきてくれ」と答えました。そこで「両膝・両手をついてお願いしたら戻ってもいいわ」と言うと、「その半分のところで手を打つ」と答えたので、それ以上押せないとわかっていた私は、片膝をついたジョンを許しました。その後7年働くことになったわ。
Q: ビートルズで一番の奇人は誰でしたか? そして一番強い絆をあなたと持っていた人は?
A: 奇人はジョージ、あるいはリンゴかもしれない。特にこの人とだけ強い絆という人はいなかった。
Q: もし若者があなたのような仕事(長時間勤務と叫ぶ群衆、ファンとの架け橋になることなど)を得る機会があるとしたら、その仕事を勧めますか? そういうバンドグループの秘書として、向いているタイプというのがあると思いますか?
A: あまり栄光にとらわれない、そしてグループをあまり神格化しないタイプなら、ぜひお勧めします。
Q: あなたの考察では、メンバーの力関係はどのように変わっていきましたか?
A: 初期のメインは2人でジョンとポール。2人はかなりイコールな関係でした。ジョージは一番若くて、静かだったのであまり何も言いませんでした。自分のために何かを言うことは最初はなかったけれど、有名になるにしたがって話すようになっていきました。
Q: あなたがバンドに影響したということはありますか? あるいはバンドがあなたに影響を与えたということは?
A: 間違いなく私が与えた影響はありません。彼らは私に音楽の影響は与えました。ジョージは私に“The Miracles”に対する興味を持たせました。
(私注:”The Miracles"=ジョージが好きだったスモーキー・ロビンソン&ミラクルズのこと。)
Q: 誰が一番地に足が付いていましたか?
A: 全員地に足は付いていました。1人だけということはなく、全員が親しみやすかったです。
Q: 仕事のおかげで何か思い出に残る品などを得ましたか?
A: ファンクラブが終わって、事務所を閉じたときに相当な商品が残っていたけど、大半はこの50年であげてしまいました。自分が大事にするものだけ残したけれど、一番の宝物は結婚したときに、全員がそれぞれインドから送ってきてくれた電報よ。
Q: スターダムにのし上がっていった有名人として、巨大なビートルズファンの現象が、彼らにどんなふうに影響を及ぼしていましたか? 彼ら自身が有名になったことに対してトラブルが出ていましたか?
A: ファンと名声を手に入れた多くのグループの中でも、ビートルズは一番しっかり対処していたと思います。誰一人ファンにひどいことをするようなことは見たことはありません。ただし彼らはそれがそんな続くと思っていなかったようです。ジョンが2年くらい続くと思っていたのは知っていましたが、誰もそれがこんな長く続くとは予想していなかったのもあります。
全文は、以下のサイトをごらんになってください。
http://labaq.com/archives/51803133.html
★
先日映画『最後のマイ・ウェイ』をDVDで見ました。シナトラで有名な「マイ・ウェイ」の作曲家・クロード・フランソワの伝記的な映画です。人気があがっていくにつれ、女性関係がだらしなくなり、自分のそばで働くひとたちへ辛辣で尊大になっていく姿が描かれていました。
ビートルズが、公(おおやけ)でもプライベートでもあまり態度の変わらないひとたちだ、というのは伝記などを読んで感じていたことですが、フリーダ・ケリーにそういわれると身近な視点からの感想なのでうれしい気がします。
いち時期、ビートルズにからだを触ってもらえれば病気や不自由な箇所が治る、というほど神格化され、おおぜいの、からだに病気をもつひとや不自由のあるいひとが4人に会いにきました。おそらく彼ら4人は「ぼくらはふつうの人間だよ」っと、否定したとおもいますが(そのまえに、本人にそうそう会えないでしょうが)‥‥リンゴがこんなことをいっています。
少し得意になってくると、ぼくらはお互いのまぬけ顔を見るんだ。お前がそんなに偉いかって(笑)。ぼくらは4人でよかった。いつも冷静になれた(忠実な訳ではなく、大意です)